/三世紀の異民族クシャナ朝、五世紀の復古グプタ朝によって、仏教は大きく変わり、中観派、大乗浄土教、密教や華厳宗、瑜伽行派、そして禅宗の端緒など、シッダールタの現実否定的な教えとはまったく違うものへと展開していく。/
クシャナ朝の後、アーリア人グプタ朝が北インドを回復し、インド本来の文化、とくにバラモン教を復活させました。しかし、それは、すでに他の民族の影響を受け、人々に広まっていたため、多神教的なヒンドゥー教に改変されました。バラモン教の象徴的な主神であるブラフマーは、四つの老人の頭を持つ具体的な姿を与えられ、仏教のダルマは四本腕のヴィシュヌ神となり、古いインダスの神々、青いシヴァ神とその家族が人々に崇拝されました。
「ああ、あのサイケデリックなインドの神々ですね」
これに対抗して、仏教も、仏法の功徳を分析し、擬人化することで多神教になりました。ここでは、太陽のようにすべてを照らす毘盧遮那仏、大日如来が主神とされました。バラモン教と同様に、彼らは仏法の功徳を体現し、仏法と一体になることを目指しました。その道は、毘盧遮那仏の恩寵からさまざまな功徳に至る実践的な演繹と、さまざまな現象から毘盧遮那仏の存在に至る理論的な帰納の二つがあり、前者の道は、ガルバコーシャ、育成な胎蔵と、後者は、ヴァジュラド、論理的な金剛(ダイヤ)と呼ばれました。それぞれ、等心円と九区画の曼荼羅見取り図を用い、目的の仏の名とイメージを繰り返して召喚することで、修行僧はそれを手に入れようとしました。
「オカルト的な密教は、バラモン教への回帰のようですね」
一方、中央アジアでは、毘盧遮那仏への一神教的な崇拝が発展し、八論が一つの華厳経にまとめられました。シッダールタの現実否定とは異なり、その基本的な考えは、すべての部分が実体として無限に全体を含んでいる、というものでした。最初の論は、毘盧遮那仏、つまり、仏法がが世界を満たしている、と説明しました。二つめは、高僧の文殊菩薩が、苦しみは私たち自身が作り出したものであり、それを知ることで正しい道に戻ることができるという四聖諦を示しました。三番目から五番目は仏法を得る課程の説明で、七番目は高僧の普賢菩薩らによる仏法の功徳に関する講義でした。そして、最後の八番目は、若い僧侶、善財童子が悟りを開くまでの修行物語でした。
「密教も、華厳宗も、仏法を毘盧遮那仏に擬人化したものですね」
427年、グプタ朝は東インドに一万人以上の僧を擁するナーランダー学院を建設しました。ここでは瑜伽行派が中観派に論争を挑みました。中観派と同様、彼らも世界が空であると認めましたが、転変はすべて心の中のことで、絶対的な空の世界の出来事ではない、とし、ヨガ、つまり、瞑想を通じて、意識の乱れとその外部投影を断ち切るべきだ、と主張しました。
歴史
2023.09.30
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2023.11.12
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2024.10.21
2024.11.19
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。