/30年前の、あの大虐殺の経験者は多く、加害側、被害側とも、いまでも思うところはあるだろう。だが、だれが仕組んだのかさえわからない、あんな安っぽい陰謀扇動に二度と騙されないために、教育と知性が必要であることは、だれもが自覚している。/
ルワンダ、アフリカの中央、松果体のような小国。近畿ほどの面積に、当時、800万人、愛知県くらいの人口。日本のバブルが崩れていく1994年4月、事件は起こった。100万人が殺され、200万人以上が国外へ脱出。つまり、わずか数ヶ月で人口がおよそ半減した。
聖書バカのヨーロッパ人は、聖書『創世記』に、酔ったノアの裸を見たハムをノアが呪った、とあることを根拠に、ハムの子孫とされるアフリカ人は奴隷になるのが当然だ、と考え、彼らを誘拐して新大陸に売り払った。中でも、内陸の中心、ルワンダは、アフリカの要衝であり、利権の温床だ。1890年、ドイツがこれを植民地にしたが、第一次大戦で敗れて、ベルギーが奪取。
この場に及んでもなお、ベルギーは、その農耕民フトゥは支配されるべきハムの子孫であるとみなし、ルワンダ外にも広がる牧畜民トゥツィは、エチオピアから来た、その征服者だ、として、その支配に利用した。しかし、この区別はまったくいいかげんで、背が低いとフトゥ、高いとトゥツィ、とされ、ときには親子兄弟でさえも別々の「民族」に。ところが、ベルギーは贔屓と差別で政治的に「民族」対立をあえて煽ったために、それが職業だけでなく、住居や結婚にまで影響。実際にルワンダ社会を完全分断するほど、ベルギーは「成功」してしまった。
「アフリカの年」に遅れて1962年、ベルギーから独立。当然、人口の85%を占めるフトゥが政権を握る。中間支配から追い出されたトゥツィは、国外の「同族」をも動員して、ほんとうにその「征服」を試みる。しかし、フトゥ政権も、1973年のクーデタ以降、経済発展のために、裕福で有能な国内外のトゥツィとの宥和に転換。ところが、これが、フトゥとトゥツィの経済格差を劇的に拡大してしまった。
1994年4月、宥和派フトゥの大統領一行の乗った飛行機が地対空ミサイルで撃墜された。やったのは、トゥツィか、過激派フトゥか、それとも、ベルギー派か、CIAか、KGBか。なんにしても、用意周到に、すでに村々の一般のフトゥにまで銃や鉈などの武器が大量に配られていた。ラジオや新聞は、トゥツィの陰謀だ、という陰謀を、激烈な口調で一斉に流した。地元カトリック教会さえも、トゥツィ殲滅が神の御意志だ、と、人々に説教した。米国も、これを地域紛争として放置。フランスは、周辺国トゥツィによるウガンダ侵略とみなし、その排除は当然、とした。こうして、100日に渡る大虐殺が始まった。狙われたのは、国内トゥツィだけではない。宥和派フトゥさえも標的とされた。興奮熱狂する一般のフトゥたちが、昨日までの隣人に襲いかかった。ホテルや学校に逃げ込んだ人々を皆殺しにした。
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。