​大衆の誕生:古代ローマからナポレオン時代まで:文明論の視座から

2025.03.08

ライフ・ソーシャル

​大衆の誕生:古代ローマからナポレオン時代まで:文明論の視座から

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/平等だが協調なき顔無しの人々、大衆。彼らはそれぞれ無知と誤解に満ちた異なる歴史の異なる世界に生きています。人権の全能感と無名の劣等感のコンプレックスが、つねに彼らを不平と不満で苦しめ、他人との比較と競争に駆り立てますが、実際は確率に支配されています。そのため、彼らは無責任で、他人に便乗したがり、一時的な連帯感を得るためにいつも共通の敵を探しています。/

「そんな兵士で戦争ができた?」

軍事訓練をまったく受けていないのに、敵陣を攻撃するのに、兵士たちは100メートル先から砲火をくぐり、50メートル先から単発マスケット銃撃を交わし、突撃しなければなりませんでした。この戦い方では、太鼓の音に合わせて恐れず隊列を組んで行進することが求められました。だから、将軍たちは、強い酒と厳しい罰で兵士たちを羊のように引き回しました。

「でも、突撃より前に大砲や銃撃で倒れる者も多かったでしょ」

そうしたら、後列の兵士が前に進み、行進し続けました。そうでなくても、悪条件の作戦中に多くの兵士が病死しました。しかし、将軍たちにとって、死傷者は単なる確率の問題でした。兵士は、黒人奴隷と同様、いくらでも交換できる消耗品でした。

「彼らは羊以下の扱いだった。だれがそんな兵士になりたがる?」

戦争は土地を破壊し、農民の貯蓄さえも徴発した。彼らには命を売る兵士になる以外に道がなかった。残された家族は、都市に押し寄せた下級労働者、売春婦、不良になるしかなかった。

「18世紀のロンドンは、ジンの酔っ払いでいっぱいだったと聞いたな」


22.7. 新大陸の混乱

17世紀に新大陸に最初に到着した「ピューリタン」は、じつは、カトリックはもちろん生ぬるい英教会にも反対する過激な宗教宗派の寄せ集めで、啓示によって台頭したクエーカー教徒などの新派もそれに続きました。さらに、新領主や英教会に追われた旧カトリック封建領主のジャコバイトも、新大陸に領土を求めて渡りました。さらに18世紀には、戦争や貨幣経済で土地や財産を失ったジェントリや農民も各国から逃げてきました。

「まるでヨーロッパのゴミ箱だ」

彼らはたがいに不仲でしたが、さいわい新大陸は広大で、「インディアン」問題があったものの、別々に暮らすことができました。しかし、18世紀半ばから、新大陸はスペイン語圏、フランス語圏、イギリス語圏に分かれ、インディアンや他の国民からこれらの地域を守るための軍事費が増加しました。それで、祖国は彼らに負担を求めたところ、彼らは怒り出した。

「祖国の言い分もわかるな。彼らはフリーを求めるというより、ただのフリーライダーだ」

彼らの主張は、税金を課すなら政治に入れろ、というものでした。しかし、彼らはもとより祖国の政治的な黒い羊(厄介者)でした。とりあえず1774年のフィラデルフィア大陸会議にイギリス人たちが集まりました。しかし、彼らがほんとうに自分たちの州を代表していたか、疑わしい。というのも、ジャコバイト領主、公式開拓団、そして黒人奴隷を率いる輸出農民は、むしろイギリス祖国を支持していたからです。にもかかわらず、会議は戦争を始めました(1775-83)。そのせいで植民地全体でモザイク状の紛争となりました。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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