/カントが難解なのは、訳語がひどいから。日本でいえば江戸化政の『解体新書』の時代。それも、彼はドイツではなく、東の辺境、現ロシア領内のプロシア植民北海貿易都市の職人の子で、オランダ語やバルト語(印欧語源に近い)の影響も強く受けていた。それをさまざまな現代の高等専門分野から寄せ集めた訳語で理解しようとしても、よけいこんがらがって、わけがわかるわけがない。/
第三に、カントは選択推論の究極も追求しました。すべてを含み、より高い選択の一部になることができないものは、神にほかなりません。神は存在さえ含むかもしれませんが、私たちは存在を確認するための神の経験を持っていません。したがって、それも私たちにとって超越論的ビジョンです。それが究極の原因または目的である、と言っても、同じです。しかし、彼はこのビジョンを「純粋知性の理想」と呼び、経験の対象ではないにもかかわらず、信仰の対象とみなしました。
「結局、私たちの推論は、どれでも行き詰まってしまう」
そうです、魂、世界、神は、私たちの知性を導くのに役立ちますが、私たちの経験や議論の対象にはなりえません。したがって、カントはそれらに関する従来の妄想的な形而上学を拒否しました。これが、私たちの合理性に対する彼の批判の要点でした。
19.8. 認識から実践へ
彼の『純粋理性批判』は、不評でした。数学や自然科学を主観性の中に位置づけようとするコペルニクス的転回は、興味深いものの、まったくナンセンスでした。そもそも、彼が当時の数学や自然科学に精通していなかったことは明らかでした。ところが、この本が批判されると、彼は猛烈に反論しました。こうして、この本はドイツ学界で論争の的となりました。
「いわゆる炎上ですね」
カントはそれを第二版として書き直し、最新の英国モラル哲学にも追いつこうとしました。しかし、彼は英語もラテン語も得意ではなかったため、「モラル」という言葉を誤解していました。ラテン語では「モラル」は人々の習慣を意味し、モラル哲学は、それを客観的な社会科学として研究しました。しかし、カントはドイツ語でそれを倫理、さらには人間の義務とみなしました。さらに悪いことに、彼は社会観察無しに、倫理問題をまたアプリオリに解決しようとしました。
「彼のデカルト的な二元論的世界観では、ヒュームやアダム=スミスのような社会調整を理解できない。だから、それは実践的な独我論や独断論になるでしょうね」
それでも、続編の『実践理性批判』(1788年)は哲学の劇的なゲームチェンジャーとなりました。英国のモラリストたちが倫理を合理的な冷静さよりも感覚的なヒューマニズムに基づけたのに対し、極端な敬虔主義者であるカントは、倫理を合理性から導き出し、人間的な感情を否定しました。かくして、それまで哲学は物事が何であるかを探求していましたが、この本の後、問題は、物事、世界、そして私たち自身について、私たちが何をすべきかに移りました。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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