/魂は、心身を統合する責があるが、人は、心で責を知っていながら、身体ではやらない。くわえて、魂は、一生に首尾一貫した整合性をなす責もあるが、これもつねに脅かされている。キルケゴールは、この重責から目を背けたり、この重責を一人で背負い込んだりするのではなく、神の定めた摂理の中での自己実現を求めた。/
/魂は、心身を統合する責があるが、人は、心で責を知っていながら、身体ではやらない。くわえて、魂は、一生に首尾一貫した整合性をなす責もあるが、これもつねに脅かされている。キルケゴールは、この重責から目を背けたり、この重責を一人で背負い込んだりするのではなく、神の定めた摂理の中での自己実現を求めた。/
24.4. デンマークの黄金時代
ところで、近代、スカンジナビアのヴァイキングは、デンマークとスウェーデンという二大国に分かれました。16世紀のプロテスタント宗教改革を利用して、デンマークはルター派国教会とともに絶対君主制を実現しました。デンマークはスウェーデンと何度も戦い、ノルウェーと統合し、グリーンランドや西インド諸島にまで植民地を作りました。そして、18世紀の食糧危機を農業改革で乗り越え、羊毛産業で繁栄しました。
「寒いバルト海沿岸では、綿よりも羊毛の需要が高かっただろう」
しかし、1794年に首都コペンハーゲンが焼け落ち、ナポレオン戦争ではデンマークはフランス側として敗れ、ノルウェーをスウェーデンに奪われました。にもかかわらず、経済危機はむしろ硬直した社会を活性化させました。コペンハーゲンの羊毛商人だったキルケゴールの父も富を得ました。彼はメイドと再婚し、七人の子をもうけましたが、彼らは病弱で、とくにキルケゴール(1813-55)は「フォーク」とあだ名つけられたように、やや背骨が曲がっていた。
「おそらく彼の母親は遺伝病だったのだろう」。
抑圧的なドイツのウィーン体制とは対照的に、デンマークは黄金時代が栄えました。それは、再建コペンハーゲンのメーソン風新古典主義建築に始まり、多くの彫刻が続いて建物を飾りました。科学者のエルステッド(1777-1851)は、電磁気学の先駆者となりました。オーレンシュレーガー(1779-1850)は、1705年にベルリンを訪れ、ゲーテ(1749-1832)、フィヒテ(1762-1814)、フンボルト(1769-1859)と知り合い、ロマン派の詩や戯曲を書いきました。彼の妹のゾフィー(1782-1818)は、エルステッドの弟(弁護士、後の首相)と結婚し、彼女のサロンには多くのデンマークの知識人が集まりました。
「デンマークの黄金時代の始まりだ」
グルントヴィ牧師(1783-1872)は、フィヒテを研究し、北欧神話とルター派敬虔主義に基づくデンマークのナショナリズムを推進して、新しい賛美歌や国立学校を通じ、それを普及させましたた。アンデルセン(1805-75)も、小説を書き始め、独自の童話で成功を収めました。哲学ではヘーゲル主義が普及し、支配的になりました。なのに、ドイツで忘れたショーペンハウアー(51)は、デンマーク王立アカデミーに論文を提出して拒否され、激怒してアカデミーを罵倒しました。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
