/ショーペンハウアーが25歳で若書きした『意志と表象としての世界』は、老練なカントやヘーゲルの本より、はるかに厄介で難解だ。それで、訳知り顔の連中の雑駁な抜書きだの孫引きだのが横行して、よけいわけがわからなくなる。だが、それこそ、彼がもっとも侮蔑した根拠原理の恣意的濫用だ。個々の言葉尻を追うのではなく、きちんと背景と文脈に即して、全体を一つの意志の流れとして掴むのでないと、彼の哲学は砂のように指の隙間から流れ落ちてしまう。/
/ショーペンハウアーが25歳で若書きした『意志と表象としての世界』は、老練なカントやヘーゲルの本より、はるかに厄介で難解だ。それで、訳知り顔の連中の雑駁な抜書きだの孫引きだのが横行して、よけいわけがわからなくなる。だが、それこそ、彼がもっとも侮蔑した根拠原理の恣意的濫用だ。個々の言葉尻を追うのではなく、きちんと背景と文脈に即して、全体を一つの意志の流れとして掴むのでないと、彼の哲学は砂のように指の隙間から流れ落ちてしまう。/
24.1. 世界の根拠
ショーペンハウアー(1788-1860)は、1805年の父の自殺で自分の人生を始めなければならなりませんでした。父の後を継いでハンブルクの富裕商人になるはずだったのに、会社は解散し、母とも不和になりました。巨額の財産を相続して、彼は有名なベルリン大学に学びましたが、人気のフィヒテにも満足できませんでした。おまけに、父の遺産を預けていた銀行も倒産してしまいました。
「彼の父親の自殺は、ナポレオンのドイツ占領と関係があったのだろうか? 混乱の時代、なにもかもが革命の理想とともに夢のようにかんたんに消えた。ショーペンハウアーにとっても、彼の未来、家族、権威、資産、など、彼が信じていただけのまぼろしだった」
だから、ショーペンハウアーは世界の根拠を問い返しました。古来、なにごとにも根拠があると考えられ、11世紀のアンセルムスも、神さえ根拠無しになにもしない、と言いました。ライプニッツは、存在するものは、同一に存在する十分根拠がある、と論じました。ヘーゲルも、現実的なものは合理的である、と主張しました。ショーペンハウアー(25)は、1813年の学位論文で、根拠を、存在部分、生成原因、認識証拠、行動目的の四つに分析しました。
「哲学者たちはその術語で語りたがる、でも、その使い方は、あまりにいいかげんだった」
母親のサロンの常連、文学界の巨匠ゲーテ(1749-1832、64)や民俗学者マイヤー(1772-1818、41)などは、彼を高く評価しました。しかし、ナポレオンは敗北し、復古的なウィーン体制が始まりました。ドイツのプチブルたちは、素朴なビーダーマイヤー趣味でインド綿織物を輸入し、インド文化にも関心を高めました。ショーペンハウアーも、マイヤーが紹介したインド哲学にも魅了されました。
「ああ、仏教は、人生は夢、なにひとつ現実ではない、と説いていた」
彼は仏教より前のウパニシャッド哲学を学びました。それは、人間はもともと宇宙と一体のブラフマンだったが、いまは、マーヤのベール、つまり、私的なまぼろしで、それぞれのアートマンに分断され幽閉されている、と教えました。このアイディアは、彼をカントに対して否定的に変えました。カントは、主観を普遍性の根拠とみなしましたが、ショーペンハウアーは、主観性がそれぞれに誤った世界観を与え、私たちを孤立した個人に分断している、考えました。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
