/ショーペンハウアーが25歳で若書きした『意志と表象としての世界』は、老練なカントやヘーゲルの本より、はるかに厄介で難解だ。それで、訳知り顔の連中の雑駁な抜書きだの孫引きだのが横行して、よけいわけがわからなくなる。だが、それこそ、彼がもっとも侮蔑した根拠原理の恣意的濫用だ。個々の言葉尻を追うのではなく、きちんと背景と文脈に即して、全体を一つの意志の流れとして掴むのでないと、彼の哲学は砂のように指の隙間から流れ落ちてしまう。/
私たちは世界を獲得し、好きに支配すべく、世界を自分の利害対象と見なします。しかし、芸術が示すように、現実世界は、私たちとは独立の、それ自身の自然意志があります。それゆえ、私たちの私的意志はかならず挫折し、つねに私たちを苦しめます。芸術が世界の実相を見せたにしても、そのことはなにも解決しません。それゆえ、第四巻で、彼は、私たちが私的意志を無みすべきだ、と主張しました。私たちは私的意志で世界を独占し支配したいと思うかもしれませんが、ほんのわずかなことでも、それは他者に対する不正、より正確に言えば、その背後の諸意志に対する不正です。
「でも、私だけが自分の意志を放棄しても、他人が私を搾取するだけでしょ」
あなたは、まさに私的意志同士の闘争というまぼろしに毒されている。ショーペンハウアーによれば、たとえだれかがちょっと不正を働くことができたとしても、そのことはかならずその人、そのものに返ってきます。なぜなら、被害者は不正者と同一の世界意志だからです。ショーペンハウアーは、このことがインド人が輪廻として論じた真の意味だ、と言います。
「インドの輪廻を持ち出さなくても、カントは、ある行為が普遍化されても問題がないかどうかが立法基準だとみなしていた」
ショーペンハウアーは、富と貧困、生や死さえも、私的な生活意志は、結局、同じ世界意志に属しているため、すべて無意味だと考えました。だから、生きるための闘争もナンセンスで、多くの宗教が言うように、私的な生活意志を捨てれば、心の平和が得られます。しかし、生活意志はあまりにも強く、いったん消しても何度も戻ってきます。だから、平和に生きることは、自分の生活意志との果てしない内面的な闘いになります。
「それじゃ、まったく平和じゃないでしょ」
そう、ショーペンハウアーは実際にはそんな平和とはほど遠い人でした。母親と喧嘩してサロンとも疎遠になり、女中を手込めにして裁判で敗訴しました。この本をめぐって出版社と揉めて絶縁され、かろうじてベルリン大学の私講師の地位を得たのに、ヘーゲルと同時限に講義して、学生を集められませんでした。こうして、彼はこの本とともに忘れ去られました。
「でも、その後、人々の分断の問題を取り上げたフォイアーバッハやマルクスは、この本を読んだのだろう」
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒(インター&文学部哲学科)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元東海大学総合経営学部准教授、元テレビ朝日報道局ブレーン。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
