/魂は、心身を統合する責があるが、人は、心で責を知っていながら、身体ではやらない。くわえて、魂は、一生に首尾一貫した整合性をなす責もあるが、これもつねに脅かされている。キルケゴールは、この重責から目を背けたり、この重責を一人で背負い込んだりするのではなく、神の定めた摂理の中での自己実現を求めた。/
「それって、婚約破棄したことに対する彼の弁明でしょ」
24.6. 不安の概念
人々の誤解は彼を人気作家に押し上げました。デンマークの黄金時代、さまざまな出版物が発刊されました。雑誌『祖国(FÆDRELANDET)』がデンマーク世論の中心でした。異なる人生観を表現するレトリックとして偽名で、キルケゴールも同誌に多くの記事を投稿し、いくつかの本を出版しました。しかし、彼の体調は悪化していました。背骨は曲がり、足の長さも異なっていました。キルケゴール(31)は、1844年の『不安の概念』で、亡き父と同じく、不安と向き合い、その原因を罪に求めました。
「神学は彼の専門で、当然、シュライアーマッハーの『宗教について』(1799)、ショーペンハウアー(1788-1860, 56)の『意志と表象としての世界』(1818)、シュトラウス(1808-74, 36)の『イエスの生涯』(1835)、フォイアーバッハ(1804-72, 40)の『キリスト教の本質』(1841)も読んでいたはずだ」
しかし、彼の議論は複雑で、しかも冗長な文体でした。だから、あらかじめ、不安(Angest)という言葉が、「絶滅」と同じく、ラテン語の「anxio」つまり「a-nihil」に由来していることを知っておくべきでしょう。キルケゴールも、それを人間の存在の空虚の一種とみなし、解釈学的ないし心理分析的に、人間の病的現象として検討しました。
「ああ、不安は、存在するなにか追加的なものではなく、欠落するなにか本質的なものなんだ。キルケゴールは、ショーペンハウアーの私的意志の滅却に否定的だろうな」
彼は第一巻を原罪の問題から始めました。他の動物と同様、心と体はもともと人間において一つです。しかし、アダムは、心に禁じられているなにかを体が取ることで、罪の概念をもたらしました。それは心と体の裂け目でした。それゆえ、その後、アダムは、自分の魂(プネウマ)で心と体を再結合する責任を負いました。しかし、この裂け目は、彼に不安、存在の無能さ、あるいは、恐れるべき対象を特定できない全面の恐れを示しました。
「でも、それってアダムだけの問題でしょ」
いや、この神話は、アダムを人間の類的本質として語っています。第二巻が言うには、この神話を学ぶことで、各個人は、アダムの経験を再認し、人の罪を知り、心と体の裂け目に気づき、試みが失敗する可能性として期待と現実の間の認知的(客観的)不安と、意図と結果の間の実践的(主観的)不安に陥りました。
哲学
2024.09.19
2024.09.22
2024.11.24
2024.12.02
2024.12.09
2025.02.01
2025.02.17
2025.03.31
2025.04.08
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
