/魂は、心身を統合する責があるが、人は、心で責を知っていながら、身体ではやらない。くわえて、魂は、一生に首尾一貫した整合性をなす責もあるが、これもつねに脅かされている。キルケゴールは、この重責から目を背けたり、この重責を一人で背負い込んだりするのではなく、神の定めた摂理の中での自己実現を求めた。/
摂理における自己実現
彼は『あれかこれか』(1843)の続編『人生の諸段階』を1845年に書きました。第一部では、五人の耽美主義の男たちが、プラトンの『饗宴』のように、それぞれ自分勝手な女性観を披露します。対照的に、ウィリアム判事は、先の本と同様、第二部で結婚生活を続けるための倫理的努力を説きます。しかし、キルケゴールは、長い第三部を追加し、婚約中の二人が最終的に将来の違いを見つける架空の日記を提示しました。
「前者の本は誤解されだけど、キルケゴールの論点は絶対的な単独者だった」
彼の旧友モラーは、彼の雑誌にこの本の書評を寄せ、キルケゴールの機知を褒めながらも、第三部のキルケゴール独特の冗長な文体に異を唱えました。激怒したキルケゴールは、有名な雑誌『祖国』で、モラーと悪名高い皮肉新聞『コルサール(海賊)』の関係を暴露し、もらーがコペンハーゲン大学教授に就くチャンスを奪いました。『コルサール』は、キルケゴールを友人の裏切り者と非難して、容姿をからかう執拗なキャンペーンを始めました。彼を人気作家にした人々は、手のひらを返し、彼を孤立させました。しかし、彼は、自分を真実の殉教者と認じ、浅薄な大衆の中の孤独な単独者として、彼らを憎みました。
「たしかに彼の病気をからかうのはひどいが、キルケゴールもちょっと変だ。それは彼の病気が悪化したせいかな?」
こうして、彼の牧師になる希望も打ち砕かれ、病気が間もなく死をもたらすと確信したとき、彼は、デンマーク国立教会に対する批判として『死に至る病』(1849)を書きました。しかし、その考えは、先の『不安の概念』(1844)の第四巻の詳説でした。彼は魔的とした言葉を「fortvivlelse」に置き換えました。この言葉はおうおうに「絶望」と訳されますが、デンマーク語では「強い疑い」を意味し、キルケゴールはこれを「棄教」として使いました。
「彼は、病気では死なない、と信じたかったのだろう」
序文で、彼はラザロのエピソードを引用しました。彼は死を否定せず、ラザロと同じように誰もが死ぬことを受け入れました。問題は、彼の生と死が、神の偉大な摂理の中で適切な意味を持つかどうかでした。命は魂として心と体の結合であり、死後も魂は大きな統合、神の摂理の中に救われるはずです。しかし、中には棄教してみずから救いを拒む者もいます。
「キルケゴールは、魂と神の二重統合構造を考えた」
哲学
2024.09.19
2024.09.22
2024.11.24
2024.12.02
2024.12.09
2025.02.01
2025.02.17
2025.03.31
2025.04.08
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
