/カントが難解なのは、訳語がひどいから。日本でいえば江戸化政の『解体新書』の時代。それも、彼はドイツではなく、東の辺境、現ロシア領内のプロシア植民北海貿易都市の職人の子で、オランダ語やバルト語(印欧語源に近い)の影響も強く受けていた。それをさまざまな現代の高等専門分野から寄せ集めた訳語で理解しようとしても、よけいこんがらがって、わけがわかるわけがない。/
「じゃあ、何を求めるべきなの?」
7+5=12のような、アプリオリな総合的認識。
「何だって? そもそもアプリオリとか総合的とかって何?」
「アプリオリ」は、前者によって、つまり、前提に基づく、という意味。その反対は、「アポステリオリ」、つまり、事実によって追検証されなければならないもの。「総合的」は、「分析的」の反対で、どの要素にも含まれない新しい情報の生成です。この場合、7も5も12という概念を含んでいませんが、計算規則により、実際の検証なしに7+5が12 であることがわかります。
「要するに、彼はプラトンのような非経験的知識を目指したの?」
どちらでもありません。彼はイデア理論のような空想的な神話を非経験的として拒否しました。
「じゃあ、何が残る?」
どんな経験より前の、数学や自然科学の基礎を含む、純粋理性ないし知性の論理。彼はそれが絶対的に確実であり、まさに形而上学である、と信じていました。その論証で、彼は哲学のニュートンになろうとしました。
「でも、ニュートンの『プリンキピア』は、経験的に多くの資料、観察、実験に基づいていたでしょ」
当時の理想的な絶対理論体系は、むしろユークリッドでした。実際、カントより前にスピノザがユークリッドの演繹論証による『エティカ(倫理学)』を出していました。
「たしかに、定義からの演繹論証は、田舎の机の上でもできるかもしれませんが、それってせいぜい独断的な世界観では?」
したがって、カントの論証は帰納的でなければなりませんでした。
「経験的根拠のない帰納? それはもっと怪しいなぁ」
19.3. カントの戦略
彼は自分の戦略を「コペルニクス的転回」と呼びました。もしすべての星が同じように廻るなら、廻っているのは、星ではなく地球です。同様に、もしすべてのものがなんらかの規則に従うなら、その規則はものの規則ではなく、私たちの認識の規則でしょう。したがって、絶対的なアプリオリ統合を知りたいなら、ものではなく私たちの知性を調べるべきです。
「それは人間の知識学にすぎず、現実の形而上学ではないでしょ」
その通り。しかし、カントは、私たちの現実は、私たちにとって現象世界であり、私たちは物自体(Ding an sich)の世界を知ることはない、と言います。
「ロックも、以前、似たようなことを言ってましたね」
だから、論理の証明は、すべての正しい現象が論理に従うことを示すことに還元されます。それゆえ、彼は、論理に従う現象だけが正しい、と主張しました。そうであれば、論理は私たちの現実に対して普遍妥当性を持ちます。しかし、不合理的な人は論理を不合理的に使うので、まちがった現象さえも入り込む可能性があります。実際、彼の理論は、彼が理想と想定したまともな知性にのみ意味をなします。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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