/カントが難解なのは、訳語がひどいから。日本でいえば江戸化政の『解体新書』の時代。それも、彼はドイツではなく、東の辺境、現ロシア領内のプロシア植民北海貿易都市の職人の子で、オランダ語やバルト語(印欧語源に近い)の影響も強く受けていた。それをさまざまな現代の高等専門分野から寄せ集めた訳語で理解しようとしても、よけいこんがらがって、わけがわかるわけがない。/
「それはただの循環論法だ」
とにかく、私たちの知性を分析するために、彼はそれを「受容能(Sinnlichkeit)」、「概括能(Verstand)」、および「推理能(Vernunft)」の三つの機能に分けました。私たちは外界からの現象を捉え、それらを統合して述語付けし、これらの経験から新しい知識を推論します。
19.4. 受容能
「まず受容能はどうやってまちがった現象に対抗するの?」
私たちにとっての現象は多様で、外界の現実のものかもしれないし、私たちの内なる夢、幻想、誤解かもしれない。現実の現象と妄想を見分ける指標は、明確な時間と場所があるかどうかです。私たちは、時刻と場所のある現象だけを受容能によって現実として受け入れ、承認します。
「ああ、たしかに現象が現実なら、その「いつ、どこ」が決まる」
しかし、時刻や場所は独立した対象ではなく、私たちが対象と同時に経験する現象にすぎません。つまり、時刻や場所は現実ではなく、むしろ私たちの受容能空間における位置です。したがって、カントは、時場間は主観的な純粋論理であり、私たちの受容能の包括的な(超越論的な)形式だ、と考えました。
「「さっき」とか「後で」とか、「ここ」とか「あそこ」とかは、客観的な共通の時刻や場所ではなく、自分を中心とした主観的な言及ですね」
どの現実現象も、受容能の論理、時場間に従います。そうでないなら、それはは現実ではないからです。こうして、受容能の論理の普遍妥当性が証明されます。
「それは定義からの分析演繹にすぎないよ」
19.5. 概括能
概括能は、さまざまな現象を統合し、述語付ける知性の機能です。カントによれば、概括能は量、質、関係、信頼性の四つの「面(Kategorie)」から働きます。私たちは、概括能の論理として、これらのアプリオリな面をあらかじめ備えています。
「この四つで十分ですか? ヒュームは現象を関連付けるために7つのカテゴリを使用し、アリストテレスは10個もリストアップしましたよ」
彼はこれらをスコラ哲学の論理学から借用しました。さらに、彼の四つの面にはそれぞれ三つのサブカテゴリが含まれているため、合計は12になります。すなわち、それは、全部・一部・特定、肯定・否定・補完、所属・仮説・分離、蓋然・現実・必然、です。
「これで漏れなく網羅している?」
彼はそう言っています。いずれにせよ、ヒュームとアリストテレスのカテゴリーは相互排他的ですが、カントの面は、現象に同時多重に適用され、統一され、私たちの単一経験として述語付けられます。さらに、カントの面は現象のものではなく、とりあえず現象に対する私たちの主観的態度にすぎません。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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