/渦中の権勢の栄枯盛衰を横目に眺め、これをむなしい「無常」と断ずる。ところが、その言葉は、まさに渦中の権勢そのものに向けて発せられ、それにマウンティングすることで、かえって自身を渦中の上に位置づけようとする試みになっている。兼好が筆を折り、世阿弥や利休が時の権力者から嫌われていくのも、この巧妙なマウンティングの企図が権力者側から読み解かれてしまったからだろう。/
平易な言葉で下層の武士や庶民に法を説いた蓮如もまた和歌をよくした。その多くは粗製濫造ぎみの教条ながら、65年、自寺を僧兵に潰されては、「徒らに過ぐる月日はいつの間に 五十有余は夢のうちなり」と詠む。また、74年、拠としたはずの吉崎を去るに当たっては、「いくたびか定めてことの変はるらん 恃むまじきは心なりけり」と、自心の無常を恥じる。さればこそ、他力本願。「阿弥陀仏 助けたまへ のほかはみな 思ふも言ふも迷ひなりけり」。ここでは、現世、そして心に対するニヒリズムのゆえに、絶対支点として阿弥陀仏を願う。
乱れる時間の実体化:室町時代②
田植の地鎮豊作を祈願する神妙土俗的な田楽と、滑稽な雑技寸劇をこととする流民興行的な猿楽とから、いかにして幽玄な能楽が生まれたか、推測の域を出ない。ただ、流浪の旅人が地縛の神霊と出会う、という形式は、後者が前者を劇中劇として取り込んでできたことを示している。神楽にも通じる前者は、面などによって霊位憑依し、その土俗的で濃厚な地方色は、都の人々にとって不気味なものでしかなかっただろう。
都にありながら、壇上の旅人役によって唐突に、いまここの、この舞台結界内は、とある地方である、と宣言され、これによって、そこにその地方に因縁がありながら疎まれ消された、あらぬ地縛の異質異様な異人が現われる。観客は、その結界の外にあって、旅人と異人とのやりとりを遠くに眺めるが、そこには、いつ結界が破られ、余計な異人がこちらに降り来るやもしれない緊張感がある。うつろう虚ろな物事が現(うつつ)をも奪い取るやもしれない緊迫感がある。はたして旅人は、異人を供養し、鎮め返して後、無事、一幕は閉じ、異界も封じられる。
観阿弥(1333~84)、世阿弥(1363?~1443?)の親子がいかにしてこの夢幻能の形式を思いつくに至ったかは定かではない。だが、いまここにおいて、いまここにあらぬものを心に見るのは、定家以来の新古今的な技法にほかならない。ただ、実際、彼らは、このような技法伝承を任じる良基(1320~88)ら二条派と交流があった。それ以上に、『西行桜』にあるとおり、彼らの作品にたびたび登場する「諸国一見の僧」は、流浪の西行にほかならない。この意味で、舞台はむしろ、まるごと西行の心中。出家と称して所縁を蹴り倒し、俗責を捨ててみたものの、千々に乱れて思い浮かぶ、果たさなかった後悔慚愧の念。観阿弥、世阿弥の名は、阿弥陀仏から取られているが、来世往生よりも、内面を苦しめる忘れがたき過去世の救済鎮魂の様相を示す。
歴史
2022.01.21
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2022.07.21
2022.10.27
2023.06.06
2023.07.27
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。