/私が東大にいたころ、イスラム学科ができたばかりで、学生は一人だけ。教授と一対一では気まずい、というので、彼につきあって私と友人の三人で受講したが、当時はまだ、イスラムなど、共産圏よりも遠い話。それが、いまでは生の情報も増え、あのころ習ったのとはずいぶん違うほんとうの姿が見えるようになってきた。/
680年、臨終の床でムアーウィヤは、党派争いに戻ることを懸念し、自分の息子、ヤズィード一世(647~位80~83)を後継者に指名。これは、ウマイア家によるカリフ位の世襲であって、絶対に許せない、と、東のイラクのシーア派が、メディナ市にいたアリーの子、フサインを擁立。しかし、正規軍は、フサイン一行がイラクに入る直前に、これを惨殺。以後、シーア派と、ウマイア朝を容認する慣行派、「スンナ派」との対立は決定的となります。
J それ、ウマイヤ家が世襲するか、ムハンマド家が世襲するか、の違いで、どのみち平等主義のイスラムで、世襲はまずいんじゃないの?
ムハンマドのような預言者ではないものの、ムハンマドの血を引く者だけが預言を絶対的に正しく解釈できる指導者、イマームである、と、シーア派は考えています。それは、ムハンマドの政治的な代理人、カリフなんかより、当然、宗教的に上の存在。そして、それは血の問題なので、世襲のような養子は認められず、逆に、実子が多いと、どんどん増えてしまう。それで、子供たちの中で、だれがイマームか、で揉めて、シーア派もどんどん分裂。
J イマームって、遺伝的な超能力みたいなもの? もともとムハンマドが霊感で預言者になったんだから、そういうこともあるのかなぁ。
続いて、83年、初代カリフ、アブー・バクルの孫、アブドゥッラー(624~僭位83~92)が、復古を訴え、エジプトやイラクの地方軍人たちと連係して、メッカ市で蜂起し、カリフを僭称。同年、カリフのヤズィード一世が急死し、子のムアーウィヤ二世(664~位83~83)が十九歳で継ぐも、これも急死。それで、ウマイヤ家分家でメディナ総督だったマルワーン一世(623~位83~85)がカリフに選ばれ、エジプトの支配を回復。しかし、彼もイラク遠征の途中で死去。その息子、アブドゥルマリク(646~位85~705)が後を継ぎ、ようやく92年、メッカ市で籠城していたアブドゥッラーを鎮圧します。
J なんだかんだで十年以上の内乱ですか。ウマイヤ家も、ムハンマド家も、アブー・バクル家も、みんな元はメッカ市のクライシュ族、それも創生期からともに苦労してきたムスリム仲間でしょ。遺産がでかくなると、相続争いもひどくなるもんだなぁ。
いや、その苦労の時代はもう遠い昔の話で、なにがムスリムか、わからなくなってきてきたんです。たしかにすでにムハンマドの伝えた「神」の言葉『クルアーン』は統一整備されていましたが、そこでは、共同体で助け合え、くらいしか、ムスリムのあり方が語られていない。それで、どこも、なんとなく慣行でやってきたのだけれど、スンナ派として統一国家となると、ムハンマドの言行や、初期共同体ウンマの歴史などを調べ、信仰や慣行を整理しなおすようになります。
歴史
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。