/私が東大にいたころ、イスラム学科ができたばかりで、学生は一人だけ。教授と一対一では気まずい、というので、彼につきあって私と友人の三人で受講したが、当時はまだ、イスラムなど、共産圏よりも遠い話。それが、いまでは生の情報も増え、あのころ習ったのとはずいぶん違うほんとうの姿が見えるようになってきた。/
J まあ、最初はユダヤ教やキリスト教とも、いっしょこたでしたからね。
こうして、ムスリムの信仰を支える「五つの柱」、アルカーンが生まれました。基本は、絶対の神を前に自分自身の思い上がりを正すこと。その第一は、日に何度でも行うべき《証言》、シャハーダ。これは、帰依を言葉にすること。「ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドゥン・ラスールッラー」、つまり、神はその神以外に無い、ムハンマドがその神の預言者である、と唱えます。
J イスラムの帰依って、ただ神を信じればいいんじゃなくて、被造物としての自分自身の身の程を思い知ることの方に重点があるんでしょうね。
第二は、少なくとも一日五回、シーア派は三回の《礼拝》、サラート。これは、人間の思い上がりを身をもって改めるもので、もとは夜明け前、昼、午後、日没、夜のそれぞれに行えばいいだけのことだったのですが、その後、それぞれの時間枠が、空の色や影の長さで、やたら厳密に天文学で定義され、人間はいつ死ぬかわからないので、その時間枠の始まりの時刻とともに、ただちに礼拝を始める、というのが慣行となりました。
それも、礼拝の前に、手足はもちろん顔や耳まできれいに洗わなければならず、礼拝では、メッカ市のカアバ神殿の方角に、それぞれの時間枠の規定回数、規定手順で投地平伏しなければならない。とくに金曜は、モスクで礼拝することが強く勧められている。でも、イスラム教は、もとより人間は弱き者だ、ということで、いろいろ例外が許されており、実際には複数枠の規定回数をまとめて、なんていう雑な人も。また、モスクに行くのも、友人知人と会えて世間話ができるので、みんなけっこう楽しみなのだとか。
J なんで礼拝はメッカ市のカアバ神殿の方角を向いてなんですか?
これ、もともとは紀元前10世紀にソロモン王が建てたイェルサレム神殿の方角だったんですよ。でも、メディナ市に移ったムハンマドが現地のユダヤ教徒やキリスト教徒とケンカして、624年、ソロモン王なんかよりずっと前のアブラハムが建てたとされるメッカ市のカアバ神殿の方角に変えた。聖別日も、ユダヤ教徒の土曜や、キリスト教徒の日曜ではなく、金曜にした。神に方角も曜日もないけれど、便宜的にムハンマドに従う者かどうかを見分けるためだ、と、神が言ったことになっています。
J わりにたいした理由じゃないんですね。
第三は、《剪定》、ザカート。財産の2.5パーセント、収穫の10パーセントを共同体ウンマに寄せ、貧困者救済や奴隷身請け、布教活動に使う。イスラム教では、この世のすべては、本来は神のもので、それが特定の個人に溜まると、社会も、その人も、成長を妨げる。だから、これを定期的に清め落とす必要がある、とされます。
歴史
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2021.08.20
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2021.09.09
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。