/歴史から反対者たちを消し去って、マルクス主義者たちは、開祖マルクスの神話を捏造し、コミュニズムの名を奪取しました。 コミュニズムは、もとはただ「庶民第一主義」を意味するだけで、共同体優位や財産共有などは含まず、ましてや階級闘争だの暴力革命だのも関係ありません。そして、それはむしろそもそも哲学の問題でした。/
「ヘーゲル主義者は独断的すぎて、敵と味方の区別もつかなかった」
23.4.キリスト教の解釈学
また、シュライエルマッハーの影響を受けたテュービンゲン大学の私講師シュトラウス(1808-74、27)も、1835年に『イエスの生涯』を出版しました。これは、イエスの奇跡という架空の神話を通して匿名の庶民たちが伝えようとしたことを解読しようとする解釈学の試みでした。しかし、ヘーゲル主義者たちは、イエスの奇跡を完全否定する無神論者として彼を執拗に攻撃し、チューリッヒ大教授になれないようにしました。
「いつの時代も、年長は才能ある年少に嫉妬するものだ」
反ヘーゲル主義者のフォイエルバッハが『ベルリン年報』に寄稿した記事は、当然ながら不評でした。それゆえ、フォイエルバッハ、シュトラウス、グリム兄弟(ヤコブ 1785-1863、ヴィルヘルム 1786-1859)、そして彼らの友人たちは、1838年に「青年ヘーゲル主義者」として独自の『ハレ年報』を出版しました。その中で、 1839年、フォイエルバッハ(34)はあからさまに「ヘーゲル哲学批判」を発表しました。彼によると、ヘーゲルは多くを統一して、イエスやナポレオン、そして、ヘーゲル自身など、一人に代表させたが、属が種や個を統一しても、多様な種や個は存続するのと同様、私たちの現実はあいかわらず多様から成り立っています。ヘーゲルの誤りの元凶は、抽象から多様性を引き出すという逆の疑似発生学でした。
「それはフィヒテ、シェリング、ヘーゲルのドイツ観念論の全否定だ。なのに、なんで彼らは自分たちも「ヘーゲル主義者」と呼んだのだろう」
それに続いて、正しい解釈学的、発生学的研究として、彼は1841年に『キリスト教の本質』を出版しまし。第一部では、神の述語である完全性、全知性、無限性を検討しました。三位一体の完全性は、理性、道徳、愛という人間の普遍的本質と同じです。すべてはだれかに知られているので、人類は全知です。また、たしかに個人には限界があるが、人類は永遠に生き、何でもできます。神と私たち人類が同じ述語を持っている以上、神はじつは私たち人間そのものであり、それは私たち人間の普遍的本質の外化(Entaeusserung)によって作られたにすぎません。
「彼が人類全体に着目したのは、画期的だった。でも、この考えは、すでに後の全体主義の匂いがする」
第二部では、彼はキリスト教の重大な問題を指摘しました。人間とは別に人間の本質を独占する神を定め、人間から理性を奪い、人間を無能に貶め、また自律的な道徳を神のみが定める律法に変え、罪の意識で人間を苦しめました。さらに人間同士の愛を否定し、神の恩寵に頼るしかない孤立した個人に分解しました。これは暴走する人間性が現実の人間を支配し抑圧する異常な疎外(Entfremdung)です。それゆえ、彼は、人間学として、私たちが神そのものであることを思い出し、もともと人間が持っていた理性、道徳、愛を取り戻すべきだ、と主張しました。
歴史
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
