/歴史から反対者たちを消し去って、マルクス主義者たちは、開祖マルクスの神話を捏造し、コミュニズムの名を奪取しました。 コミュニズムは、もとはただ「庶民第一主義」を意味するだけで、共同体優位や財産共有などは含まず、ましてや階級闘争だの暴力革命だのも関係ありません。そして、それはむしろそもそも哲学の問題でした。/
「またブルジョアが庶民の革命を乗っ取っただけか」
ウィーン体制に抑圧されたドイツのブルジョア階級の大半は、政治に関わることを恐れ、ビーダーマイヤー様式で生活を磨くことに熱中していました。彼らの唯一の贅沢は、本物のインド綿織物で家を飾ることでした。しかし、これらの織物はインドの風土病であるコレラをドイツに持ち込みました。あいかわらず排泄物を路上に投げ捨てている汚いヨーロッパ人の都市は、疫病を急速に蔓延させました。ヘーゲルも、1831年にコレラで亡くなりました。
「衛生に関する彼らの考えは、遊牧ゲルマン人のころから進歩していない」
コレラはフランスにも伝わり、ラマルク将軍が1832年に亡くなりました。パリの絶望した学生や庶民は赤旗を掲げて六月蜂起を起こしました。しかし、先の七月革命とちがって、ブルジョワ連中が反対したため、学生や庶民はすぐに鎮圧されました。
「その出来事については、ユゴーの『レ・ミゼラブル』で読みましたよ」
23.3. 普遍的人間性
ヘーゲル亡き後も、ベルリン大学は思弁的ヘーゲル主義者で溢れていました。彼らは、現実は合理的であるというヘーゲルの考えを信奉し、政治や社会の現状を無思慮に肯定し、大衆、つまり大量の多様な庶民の出現という現実を無視しました。さらに、彼らはイエスを神と人の弁証法的統一とみなし、キリスト教にも迎合しました。
「ウィーン体制はみごとに連中を飼いならしましたね」
保守的な故ヘーゲルに不満を抱いた若い学生たちは、神学者シュライエルマッハー(63)に魅了されました。解釈学として、彼は学生たちに、啓示の表面を見るのではなく、その向こうの宇宙を直観し、感じるよう求めました。彼はまた、あわれな私たち一人一人の向こうに崇高な普遍的人間性がある、と言いました。
「シュライエルマッハーは、貧しい庶民も人類の重要な一部であることを学生たちに気づかせた」
ヘーゲルは、個人が多様な他者と知り合うことで共同体を形成する、と考えていました。これに対し、ベルリン大学でシュライエルマッハーとヘーゲルに師事したエアランゲン大学の若き私講師フォイエルバッハ(1804-72, 29)は、逆に、理性的思考はもともと人間の普遍的本質(Gattungswesen)だったのに、いまや失われ、個人に分断されてしまっている、と考えました。
「彼の考えはベートーベンに似ていた」
彼は原因を浅薄な宗教に求め、1833年にキリスト教と哲学の対立を中心にスピノザまでの『近代哲学史』を執筆しました。しかし、ヘーゲル主義者は、それがヘーゲル弁証法を踏襲し、最終的にはヘーゲル哲学による統一を結論付けるだろうと誤解し、若きフォイエルバッハを彼らの『ベルリン年報』に迎え入れました。
歴史
2023.11.05
2023.11.12
2024.02.23
2024.02.26
2024.07.16
2024.10.21
2024.11.19
2025.03.08
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
