/歴史から反対者たちを消し去って、マルクス主義者たちは、開祖マルクスの神話を捏造し、コミュニズムの名を奪取しました。 コミュニズムは、もとはただ「庶民第一主義」を意味するだけで、共同体優位や財産共有などは含まず、ましてや階級闘争だの暴力革命だのも関係ありません。そして、それはむしろそもそも哲学の問題でした。/
「彼を処刑しても、政治と経済の問題はなにも解決しないのに」
そう。それで、独裁者ナポレオンが1799年に現れました。彼はフランスのブルジョアと庶民を興奮させましたが、実際にはフランスを私物化し、無意味な拡張戦争に引きずり込み、彼らに莫大な負債を残しただけでした。
「彼はバブーフよりも厄介だった」
23.2. 1830年の七月革命
ナポレオンの後、ヨーロッパ諸国はウィーン体制を通じて戦前状態を回復しようとしました。フランスでは、近隣諸国や国内領主へ賠償し、革命に関わった者たちに復讐すべく、復活したブルボン王が超王党派議会や教会とともに搾取政治を行いました。
「それはアンシャンレジームよりもひどかっただろう」
ロシア、オーストリア、プロイセンは、神聖同盟を結成し、時代錯誤の王権神授説を導入しました。かつてフィヒテ(1762-1814)がナショナリズムを煽ったベルリン大学では、神学者シュライエルマッハー(1768-1834)が学生の統制に苦闘しました。それゆえ、人気のあったヘーゲル(1770-1831)が招聘され、かろうじて学生たちをまとめました。ただ耳の不自由なベートーヴェン(1770-1827)だけが、革命前の疾風怒濤時代のシラーの言葉を借りて、1824年に交響曲第九番を作り、ばらばらな庶民の間に音楽による連帯を提唱しました。
「シェリンク(1775-1854)も以前、物質と精神に分断されてしまった世界は、物質的かつ精神的である芸術の創造で統一されるべきだ、と論じていましたね」
悪天候で不作となり、物価は高騰しました。フランス王は北アフリカのアルジェリアに侵攻して庶民の不満をそらそうとしましたが、徴兵された国民衛兵は公然と王政を批判しました。自由主義運動を阻止するため、1830年、国王はすべての報道と出版を禁止しましたが、ジャーナリストや作家、印刷工場の労働者、新聞や雑誌の販売員は職を失い、街頭に出て、広場に飲屋にバリケードを作って庶民の暴動を引き起こした。国王は国民衛兵を派遣しましたが、彼らも寝返りました。スイス人の近衛傭兵でさえ逃亡しました。国王は英国に亡命せざるをえませんでした。
「それが1830年の七月革命ですね?」
先の革命を経験したヘーゲルは、革命は混乱をもたらすだけだと考え、これに冷淡でした。彼に従ったドイツの学生たちも動揺しませんでした。ヘーゲルが恐れたように、革命は終わりませんでした。ブルジョア議会は、彼らの指導者であるオルレアン公ルイ・フィリップ一世(1773-1850)を新王に選びました。しかし、「株屋の王」と呼ばれたように、彼は、あからさまにブルジョア階級に有利な政策を実施し、政府や企業経営者に反対する政治団体や労働団体を解散させました。庶民は、自由と平等を唱えて新王を批判するラマルク将軍に期待を寄せました。
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
