/いまの東京大学の前身は、戦前の東京帝国大学。しかし、それよりさらに前に、旧「東京大学」があった。1877年(明治10年)4月、いまだ九州で西郷隆盛の西南戦争が続く中、それはできた。/
90年2月11日、大日本帝国憲法発布。家で式典に出る支度をしているところを訪れた男に、森有礼(43歳)は刺し殺された。6月、フェノッロサは、帰国し、年俸2500ドル(6000万円相当)でボストン美術館の東洋部長となる。同年、九鬼(38歳)も、帝国博物館総長となり、上野の東京博物館(旧美術館)に加え、京都と奈良にも博物館を建設。
だが、その後、フェノッロサ(43歳)は、ボストン美術館の収蔵品である浮世絵の目録をかってに出版して、96年4月に馘首。日本に再来日するも、もはや仕事は無い。東京美術学校で、同年、ようやく洋画科、図案(デザイン)科が設置される。しかし、学長岡倉は、かつてのフェノッロサばりに、あいかわらず学校で好き勝手をする一方、新学科に対しては、冷たく蔑んだ。翌97年3月、怪文書が出回る。87年に上司九鬼の妻、はつを先に日本へ連れ帰って以来、岡倉がはつと不倫関係にあることを暴露。騒ぎは収まらず、98年、岡倉(35歳)は学長辞任に追い込まれ、99年、九鬼(47歳)も離婚。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。