/ドイツ観念論は画期的だったが、今ではほとんど読まれない。というのも、それは哲学的神学であり、それらの本は冗長で抽象的で、何のことか、わからないからだ。ドイツ観念論はフランス革命のさなかに現れたもので、それらの本を理解するには歴史背景を知る必要がある。/
「革命の火は簡単には消えない」
とくにベルリン大学は、故フィヒテ学長が煽った愛国主義と反ユダヤ主義に苦しんでいました。シュライエルマッハーも学長を務めましたが(1815-16)、大学を擁護するあまり国王と対立して辞任を余儀なくされました。かつては熱烈なナポレオン主義者だったヘーゲルも、このころはすっかり落ち着いていました。それで、ヘーゲル (48) は1818年にベルリン大学に招聘されましたが、それは彼の学識のゆえではなく、たんに彼が若者たちに人気があったからでした。ドイツ諸州の当局はブルシェンシャフトを禁止し、大学を監視下に置いていましたが、彼らを止められなかったので、むしろ彼らに対する懐柔策を必要としていました。
「つまり、うるさい若者たちをどうにかしてくれ、ということですね。それはまた高校の校長のような仕事だ。で、ヘーゲルは何をしたの?」
彼は1821年に『法哲学』を出版しました。これは、彼の以前の『エンチクロペディア』の客観的精神の部分を詳述したものでした。彼は、世界歴史こそが最高裁だ、としていたので、彼にとって、少なくとも現時点では、現実は合理的であり、合理的なものは現実でした。
「じゃあ、彼は現政権のゴマすり屋だった?」
彼はいつもの弁証法を人格の概念から始めました。それは財産を持ちますが、その取引はトラブルを引き起こすかもしれず、正義の問題が生じます。人々は自分の良心に従うかもしれませんが、それは主観的なものにすぎないため、正義の執行には外部の義務が必要です。人々が良心として義務に従うと、それは道徳になります。道徳ある人々の原初的な社会生活は家族です。しかし、家族間の関係には、経済的競争、つまり、市民社会があります。その紛争を防ぐために、国家が必要です。ときには国家がたがいに争いますが、そこではもはや法が有効ではなく、私たちはそれを歴史判断に任せるしかありません。
「つまり、彼の学生たちへのメッセージは、時を待て、ということ?」
彼は講義で理性の狡猾さについても話しました。人々は自分の意志でなにかしていると思っていますが、じつは世界精神がそうさせているだけです。とくに世界精神が新しいアイデアを思いつくと、人々で試してみます。それは、そのアイデアが現実に何であるかを知りたいだけなので、それで人々がどうなろうと知ったことではありません。だから、なにか思想に魅了された人々は、情熱を吸い取られ、使い潰され、歴史から捨て去られます。
「ナポレオンはセントヘレナ島に流され、1821年にそこで死にましたね。ヘーゲル世代のナポレオン支持者の多くも、王政復古の苦しみを味わっていたのでしょう」
彼の理論が難解だったにもかかわらず、ヘーゲルはドイツ全土の学生たちから兄貴と慕われ、1827年にベルリン大学の学長となりました。
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒(インター&文学部哲学科)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元東海大学総合経営学部准教授、元テレビ朝日報道局ブレーン。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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