/ドイツ観念論は画期的だったが、今ではほとんど読まれない。というのも、それは哲学的神学であり、それらの本は冗長で抽象的で、何のことか、わからないからだ。ドイツ観念論はフランス革命のさなかに現れたもので、それらの本を理解するには歴史背景を知る必要がある。/
「これは私たちの基本概念の創成神話でしょう。でも、彼の説明は強引すぎる」
これは存在に関する第一巻にすぎません。第二巻で、彼はまず本質を無違として論じました。しかし、それが反省で自身を確かめると、同一性になります。同一性は可能態または実現態ですが、実現しつつある可能性は必然性です。必然的に存在する本質は実体です。ふつう必然性を促すのは外部の原因です。しかし、実体が原因さえも内部に含む場合、それは主観性です。ただし、主観性は概念自体のものであり、人間の主体ではないことに注意する必要があります。中世のスコラ哲学の実念論のように、ヘーゲルは概念ないし種が実際に存在している、と考えていました。これが「ドイツ観念論」と呼ばれる所以です。
「個体ではなく、種が存在する? それって、国民より民族が実体だとしたフィヒテの信条と同じだ」
かくして、第三巻は実際の活動を調べます。概念ないし種はまだ主観的ですが、普遍的で、多様性を含みます。多様性は、それぞれに具体的な決断を求めます。確定的な決断を伴う概念は、もはや主観的ではなく、客体として疎外されます。客体は、外的な物理関係だけでなく、浸透的な化学関係も持っており、ここから第三の統合的な目的、理想が得られます。理想は、能動的な生命であり、受動的には認知的ですが、積極的には実践的です。かくして、真実に沿って生きることで、それは絶対的な理想になります。
「よくわからないけど、全体が多様化したけど、すべてを知的に取り戻した、ということだと思う」
だれも彼の巨大な本を理解できなかったので、多くの大学がヘーゲルを採りたがりました。彼はハイデルベルク大学に移り、すぐ1817年に『エンチクロペディア』を出版しました。それは彼の哲学体系全体を示し、論理と世界精神に関する彼の教義の要約と、その間に新たに追加された自然に関する見解で構成されていました。彼の自然哲学は論理と世界精神を結びつけるはずでしたが、あまりにも思弁的で粗雑でした。彼は弁証法で自然、つまり時空間、物質、有機体さえも説明しようとしました。
「それは彼の子供じみた世界観にすぎなかった」
21.6. 政治と歴史
ナポレオンの後、ウィーン会議でヨーロッパの王政復古が決定されましたが、大国は資本主義と産業革命の主導権をめぐって争い、プロシアも同様でした。しかし、プロシアはかつては東の果ての植民国家にすぎず、ドイツ人の多くはプロシアがドイツ統一を主導していることに不満でした。ドイツの大学生たちはイエナでブルシェンシャフト(青年同盟)を結成し、反政府運動を開始しました。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
