/ドイツ観念論は画期的だったが、今ではほとんど読まれない。というのも、それは哲学的神学であり、それらの本は冗長で抽象的で、何のことか、わからないからだ。ドイツ観念論はフランス革命のさなかに現れたもので、それらの本を理解するには歴史背景を知る必要がある。/
「ちょうどベートーヴェン(1770-1827)が活躍したロマン主義の時代でしたね」
一方、フィヒテはベルリンのフリーメーソンリーに地位を得て、そこで啓蒙神学を展開しました。それによると、意識とは他のもののない自己認識(絶対知)です。しかし、認識される自己は、現実(sein)と可能(frei)の統合です。意識は、可能性に基づいて認識的反省としてその現実を考察し、現実に基づいて実践的反省としてその可能性を求めます。しかし、ここでは現実と可能性は循環してしまっています。意識がこの閉塞に気づいたとき、意識は循環的知識を超えた絶対者、神を感じます。
「これは実存主義とその神学の先駆けだろう。しかし、彼の神はカントの自然界と同じだろうか? もしそうなら、それは汎神論やシェリングに近い」
21.4. 世界精神
革命フランスはすでにライン川西岸まで勢力を拡大し、1804年にナポレオンが皇帝となりました。1805年にオーストリアが進撃すると、ナポレオンは驚くべき速さで軍を動かし、ドナウ川でオーストリア軍を破り、ウィーンに侵攻しました。彼はオーストリアとロシアの皇帝をアウステルリッツ(現チェコ)で屈服させました。ナポレオンは南のバイエルンを味方にし、北進して1806年にザクセンのイエナとプロシアのベルリンを占領しました。
「大学の先生たちや学生たちもたいへんだったにちがいない」
いや、それほどでも。彼らはむしろ以前からナポレオンの支持者でした。フィヒテ(44)とシュライアーマッハー(38)はすぐにベルリンに戻り、シェリング(31)はナポレオン側のバイエルンのミュンヘンに移りました。イエナ大学で学生たちから給料をもらう私講師をしていたヘーゲル(1770-1831、36)は、ナポレオンを実際に見て興奮し、ナポレオンこそが世界精神だ、と言って、1807年に『精神現象学』を出版しました。
「世界精神って何?」
全知の神ではなく、世界の学習する歴史的自然です。しかし、あらかじめ彼は一般的な学習過程を弁証法として説明しました。まず、人は自分でアイデアを思いつきます(an sich)。しかし、多くの予期せぬ現実に遭遇します(fuer sich)。こうして、現実的な概念(an und fuer sich)を得ます。
「それはフィヒテの意識活動に似ていますね。フィヒテとの違いは何?」
フィヒテの意識活動は自我と非我の対立であり、前者が後者を克服することで終わるはずです。対照的に、ヘーゲルの弁証法では、観念は多くの現実に脅かされても、現実をそのまま吸収します。ヘーゲルは、シェリングの同一哲学に投げ込まれた様々なものを、闇夜のごだまぜの黒牛、と貶しましたが、ヘーゲルは、それらを少しずつ囲いに分けて捕まえて飼いならすつもりでした。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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