/江戸時代、日本は驚くべき文化大国だった。いわゆる「鎖国」下で、天下泰平を享受して独自の文化を醸成し、武家、商家から庶民まで、男女を問わず、それぞれに芸事を嗜んだ。それは、硬直した身分制に対して、価値転倒的な気風を含み、実際、それは身分を超えた社会対流を可能にした。/
そもそも身分世襲社会にしても、武家がかならずしも裕福ではなく、一方、役者が遊女が人気と待遇を誇りながらも世間に蔑まれるなど、その「身分」はかならずしも一元的で直線的な規準に基づくものではなく、多種多様な上下関係、力関係が組み合わされたものであり、奇妙にうまくバランスが取れていた。
このことは、なにもかも「自由平等」として権威も身分も段位も意味を持たなくなった現代と比較すると、いっそうわかりやすい。すべては、結局、いくらになったか、逆に経済的な利益で一元的に計られるようになり、ここに価値転倒の風穴の余地は無い。いかに趣味や文化で功績を挙げても、経済的な利益がなければ、「負け犬」扱いとなって、自己評価を下げる。逆に、なんの意味も無い趣味や文化でも、それで大金を得られれば、成功者として憧れの的となる。
果たしてどちらが「自由」なのか。我々は、いまさら江戸時代のような硬直した家制度を好むところではないが、現実には経済格差とともに、江戸時代とは別様ながらも一種の身分世襲社会に陥りつつあるようにも思われる。そして、趣味も、文化も、経済的な利益を規準とすることで、それ楽しむ余裕を失ったようにも思われる。社会の風穴とならないまでも、心の豊かさを保つために、我々はもういちど芸術を楽しむ道を切り開くことはできないだろうか。
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。