組織・人事に関わる全ての施策は、日本人の特性や自社の独自性への洞察なしには機能しない。それは、OSが違えば、アプリが動作しないのと同じである。欧米の真似でもない、うまくいっている会社の真似でもない、日本企業において本当に機能する組織・人事の考え方や施策について思索・指南する連載。
「あなたが、この会社に入ったら何をしたいですか? どうなりたいですか?」と、多くの面接官が学生に質問するらしい。大学でも就職活動対策として「将来像」や「やりたいこと」を明確にするようにと指導する。漫然と仕事をするのではなく、キャリアをデザインしその実現に向けて計画的に働き、学ぶことが重要だと考えている証拠だ。しかし、仮に学生が面接官に対して同じ質問ができたら、面接官は答えに窮するだろう。実際に、人事考課のフィードバック面談などで、「今後のキャリアについて、どう考えているの?」と上司から尋ねられたら、大抵の人はモゴモゴなってしまうか、お茶を濁すような回答しかできない。この会社で何をしたいか、どうなりたいかを明確に答えられるサラリーマンは日本の会社ではごく一部である。
そうなる理由ははっきりしている。日本では職務内容、勤務地、処遇などの労働条件を決定する権利は会社にあるからだ。従業員は異動や転勤の命令に従わねばならないと就業規則に明記されており(それを法も認めており)、このような強い会社の権限と引き換えに、解雇が原則として禁じられているのである。クビにならない理由は、何をしたいか、どうなりたいかという意思を明確には表明せず、自分のキャリアを会社に委ねることに合意しているからなのだ。ほとんどのサラリーマンが今後のキャリアを訊かれて答えに窮するのは、そんな日本的雇用慣行の中で過ごしてきたからである。
無目的に働くのではなく、何をしたいか、将来 どうなりたいかを明確にしておくことが大切だ、というのは一見、正しそうだ。だから、学生に対する就職指導では「キャリア・デザイン」に力が注がれる。人事部も、何をしたいか、どうなりたいかを明確に語ることができる学生を意欲的だ、頑張ってくれるだろうと評価し、採用しようとする。だが、これは勘違いである。確かに、労働条件をすり合わせて契約する米国型の雇用慣行なら、何をしたいか、どうなりたいかといったキャリアの表明は非常に重要で、曖昧であればあるほど不利な契約になってしまう。しかし、配置も仕事も処遇も会社任せとなる(そのような権限を会社が持っている)日本においては、無意味どころか、会社の持つ権利を無視した一方的な意思表明となるのであり、会社にとって面倒な話にしかならない。何をしたいか、どうなりたいかが明確であればあるほど、配置や処遇に困るのが日本の会社組織なのである。
新しい「日本的人事論」
2018.02.05
2018.02.15
2018.03.10
2018.03.23
2018.04.07
2018.04.23
2018.05.14
2018.05.29
2018.06.16
NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。