組織・人事に関わる全ての施策は、日本人の特性や自社の独自性への洞察なしには機能しない。それは、OSが違えば、アプリが動作しないのと同じである。欧米の真似でもない、うまくいっている会社の真似でもない、日本企業において本当に機能する組織・人事の考え方や施策について思索・指南する連載。
前回に述べた通り、評価制度とは、原理的に「従業員を“金太郎飴化”“幼稚化”」してしまう仕組みであり、企業の持続的成長の阻害要因になる。だから評価制度は廃止すべきなのだが、ただなくしてしまうだけでは、従業員の処遇を決める術も失ってしまう。替わりとなる仕組みが必要だ。
●「評価制度」に代わる仕組みの考え方
市場に行けば、様々な商品があり値段がついている。客はその中から価値があると思うものを買う、売り切れで買えない場合もある。欲しい物がなければ客は買わずに帰る。
同様に、会社には様々な仕事が存在し、それに対する報酬がつけられている。従業員はその中からやりたい仕事を選んで手を挙げる。会社がその人にやって欲しいと思わなければ、他にやりたいと言っている人に頼む。だから、やりたくても仕事がない場合もある。その価値や需給によって仕事の値段が変動するから、どのような仕事をするかで、各々の報酬が決まる。従業員は、報酬とのバランスを含めてやりたい仕事がなければその会社を辞める。このように、マーケット感覚が持ち込まれているのが欧米型の仕組みだ。
日本は違う。
市場に人が並んでいる。市場側はその人数を数え、皆に商品が行き渡るよう、それぞれ何が欲しいかに関係なく、商品をみつくろって袋詰めし、おおむね均等に配ってくれる。行けば必ずもらえる。そして、どの袋の値段も同じである。
これと同じように、会社には色々な仕事があるが、それぞれが「これがやりたい」と意思表明をしなくても、各々に合っていると思われる仕事を会社(経営や管理者)が見つくろって、おおむね均等に与えてくれる。どのような仕事をしても、報酬はたいして変わらない。これが日本企業独特の姿であり、そこにマーケット感覚は存在しない。
本質的な違いは、「仕事に値段がついているか」「人に値段がついているか」にある。
欧米型は、仕事に値段がついており、どのような仕事につくかで報酬が変わる。同じ会社の同期でこれまでの実績や能力が同じであっても、そのときに営業課長と企画課長の役割に付けられている値段が違えば、両者の受け取る報酬は異なる。「同期で互いに遜色ない実績をあげてきているのに、今の役割が違うから報酬が違うのは不公平だ」とは考えない。経営が提示した職務と報酬を了承したのだからそれで何の問題もないし、逆に、価値の異なる仕事をしているのに報酬が同じという方が不公平だと考える。
新しい「日本的人事論」
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NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。