14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第7章|意志・こころ〉第1話
さて、設問をみてみましょう。宏美と多英は2人して優奈にけがをさせてしまいました。同じ出来事に遭遇しながら、宏美と多英はまったく異なる気持ちを抱いています。その差はどこから生じているのでしょうか。
わたしたちはなにか出来事にあったとき、その結果として気持ちが生じます。たとえば、
〈出来事〉 →〈気持ち〉
宝くじに当たった → うれしい
交通事故にあった → 悲しい
このことから、なにか〈出来事〉が原因となり、その結果として〈気持ち〉が生じているように思えます。しかし厳密に考えていくと、そこにはもう一つ大きな要素が隠れています。実は、〈出来事〉の後に、〈とらえ方〉というものがあって、その後に〈気持ち〉が生じているのです。つまり因果関係は、
〈出来事〉→〈とらえ方〉→〈気持ち〉
の3段階です。宏美の場合、この3段階の流れがどうなっているかをみてみましょう。まず、優奈にけがをさせる〈出来事〉を起こした。宏美はそのことに対し、「ふざけすぎの自分が起こした事故だ。廊下では静かにあるべきだった。それを破った自分が悪い」という〈とらえ方〉をしています。その結果、「こんなことを起こした自分がいやだ。優奈と会うのがつらい」という〈気持ち〉になった。そしてその気まずさがいまでも続いています。
多英の場合はどうでしょう。優奈にけがをさせた〈出来事〉に遭遇しているのは宏美と同じです。しかし多英は「起きてしまったことは起きてしまったこと。あやまちはだれにでもある。優奈と仲良くなって元気づけてやることがいまできる一番のこと」という〈とらえ方〉をしています。その結果、「明日、優奈の席に行って明るく話をしよう」という〈気持ち〉になった。そしてその後とても親密になって、いまは事故のことなど忘れてしまっています。
このように2人でなにが異なるかといえば、それは〈とらえ方〉です。〈とらえ方〉の違いが〈気持ち〉の違いを生んでいるといえます。
たしかに他人にけがを負わせたことは悪い内容の出来事です。しかしその悪いことを受けて、自分はダメだ、自分はこうあるべきだったんだ、と悪い方向ばかりでとらえていては、気持ちも悪い方向にしかいきません。すると、その後の行動も悪い方向にいってしまい、さらに気持ちが落ち込むという悪循環におちいってしまう。けれど多英のように、そんな悪い出来事を受けても、「これは優奈と仲良くなれるチャンスなんだ」と前向きなとらえ方をする。すると、気持ちも前向きになって、悪い状況を良い方向へ転換する行動ができます。
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キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。