ものごとのとらえ方[1]~「出来事→とらえ方→気持ち」

画像: Yasushi Sakaishi @ Lanta Design

2016.11.02

ライフ・ソーシャル

ものごとのとらえ方[1]~「出来事→とらえ方→気持ち」

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第7章|意志・こころ〉第1話

〈じっと考えてみよう〉

宏美(ひろみ)と多英(たえ)は仲良しクラスメイトである。ある日の休み時間、2人は会話に夢中になりながら廊下を歩いていた。廊下の角を曲がったところにある階段に来たときだ。あまりにはしゃいでいた2人は、ちょうど階段を上ってきた優奈(ゆうな)と出会いがしらにぶつかってしまった。優奈は階段をころげ落ちた。優奈は足にひどいねんざを負った。数日間は松葉づえが必要だという。

宏美も多英もその日のうちに優奈の家に行って見舞いをし、自分たちのしたことをあやまった。宏美はその夜からずっと自分を責めた。「なぜ、自分はあのとき落ち着きがなかったんだろう。廊下ではもっと静かであるべきだったのに。ふざけすぎの自分に責任がある」。そして翌日も「あぁ、あのとき、あんなにはしゃがなければ、人を傷つけずにすんだはず。なぜ自分は……」。

他方、多英も反省をした。「でも、起こってしまったことは起こってしまったこと。優奈とはこれまで話す機会があまりなかったけど、これをきっかけにして仲よくなろう。それがいまできる一番いいこと」と思った。そして多英は翌日、優奈の席に行って、いろいろと話をした。

宏美はその後、優奈に対してはなにか罪悪感が残り、彼女をついつい敬遠してしまうのだった。逆に多英は、それから優奈と親密になり、今ではこの事故のことがなかったかのようである。

□ 宏美と多英はクラスメイトにけがをさせてしまいましたが、その出来事に対する反応が2人で異なっています。それはなぜだと思いますか?
(性格が異なるからというのは一つの答えではありますが、ここではそれを考えない)



悲しいことがあれば悲しむ。うれしいことがあればうれしく思う。これは人間であれば当然のことです。けれど、人は起こった出来事に対して、単純に反応しているばかりでは疲れてしまうこともあります。もちろんうれしいことに対しては素直に喜べばよいでしょう。とくに注意が必要なのは悪いことが起こったときです。

なにか自分につらいこと、苦しいこと、困ったこと、悲しいこと、罪を感じることが起こったとき、単純に「あぁ、悪いことだ。いやなことだ」と反応するだけでは、心が落ち込むばかりで、体をこわすことも出てきます。人は、いやなことほど心のなかで何度も反復したくなるし、苦しい感情ほどそれにひたりたくなる傾向性があります。悪い出来事に遭遇(そうぐう)したとき、自分の心をうまくコントロールできるようになるのが、ある意味、大人になることでもあります。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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