14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第2章|成長〉第2話
〈S君からの相談〉
僕はなにか目標とか計画みたいなことに縛られるのがいやです。もちろん、学校で出された宿題はやるし、親から頼まれた手伝いもやります。でも、それ以外は自由にのんびり過ごしていたいです。ゲームをしたり、音楽を聴いたり、友達とスマホでおしゃべりをしたり、毎日の自由時間はそれなりに楽しいです。母親からは「なにかに打ち込みなさい」とよく言われますが、いま、特に打ち込んでいることとか、目指していることはありません。だいいち、自分がなにに打ち込めばいいかが思い浮かびません。こうやって過ごしていてはダメなんでしょうか?
〈Rさんからの相談〉
わたしは成績がごく普通の生徒です。がんばって勉強しても、平均点を取るのがせいぜいです。なので、人に言えるような立派な目標は立てられないし、立ててもできなければ自信をなくすことになるので、目標はなるべく立てないようにしています。目標って生きるために必要なものですか? そして、こういう考え方をするわたしはよくないですか?
わたしたちは日ごろ、いろいろと目標を立てます。───「今度の試験では●点以上取る」「次の大会では●位以上を目指す」「毎月本を1冊以上読む」「●●校の入学試験に合格する」「●●検定2級の資格を取る」「将来、●●の職業につく」など。目標とは「なにを・いつまでに・どの程度までやるか」という自分への約束です。
その約束は、言ってみれば、坂道をのぼり、ある地点をこえようとする負荷(ふか)です。当然、それはからだにもしんどいし、心にもしんどい。けれども、そのしんどさと引きかえに、得られることもたくさんあります。逆に、目標など立てず、過ごしたいように過ごすことは、坂をくだっていくのと同じでラクです。でも、くだっていく先で得られることは少ない。
さて、S君から目標についての相談がありました。きょうは次の2つの点から書きます。
□ 目標がないと人は怠(なま)けてしまう
□ 目標を自分でかかげ、達成していこうという「心の習慣」をつけよう
まず1点めについて。フランスの哲学者モンテーニュは次のように書いています───
「どんなに豊かな土地でも、遊ばせておくとそこにいろんな種類の無益(むえき)な雑草がたくさんはえてくる。・・・精神はなにかに没頭(ぼっとう)させられないと、あっちこっちと、ただぼーっとした想像の野原にだらしなく迷ってしまう。・・・確固たる目的をもたない精神は自分を失う・・・無為(むい)はつねにさまよう精神を生む」。 ───『エセー』より
一人一人の人間は、無限の可能性を秘めています。ただ、それは漫然(まんぜん)と過ごしてひらかれるものではありません。人類が月に行けたのはなぜでしょう。それは、月に宇宙船を着陸させるという目標を持ったからです。なんとなく科学を研究しているうちに実現したのではありません。同様に、「富士山に登ってやるぞ!」という目標をもたなければ、あなたはけっして富士山の頂上に立つことはありません。ちょっと散歩に出ますと言って、富士山に登った人はいないのです。
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14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』
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キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。