/産業革命は、たんなる生産経済の効率化でなく、社会構造を根底から変えた。/
7 新大陸アメリカ
アメリカでは、戦後の大量の余剰国民が、西部という広大な未開拓地へと向いました。それゆえ、英仏ほどのひどい社会問題は生じませんでしたが、しかし、それだけに、ようやく芽ぶき始めた北部の産業は、英仏のような安い労働力を得られず、いつまでも国際競争力がつきません。また、南部も、再開したイギリスへの綿花輸出に、いくら奴隷を輸入しても追いつかないほどだったのです。だから、アメリカでは、ヨーロッパでは解放が進むのに逆行して、奴隷を非合法に増やし続け、南北戦争直前には四百万人ともなり、南部の人口の三分の一以上を占めるほどになります。
ヨーロッパの人々にとっては、新大陸アメリカそのものが、格好のフロンティアでした。高い船賃をなんとか都合できた人々は、都市よりもアメリカをめざしたのです。また、ナポレオンによって自由主義の洗礼を受けながら、その運動の挫折してしまったドイツなどからは、中産階級以上の人々も、自由の夢を賭けて、少なからずアメリカへ亡命していきました。また、このころから、もとよりアジア各地に進出していた中国人華僑のアメリカ移住なども始まります。
とくにこの時期に注目を引くのは、アイルランド移民です。国土のやせたアイルランドでは、南米から輸入されたじゃがいもによって、どうにか生活が可能になり、人口が百年で五倍にも増えていました。ところが、このころ、そのじゃがいもがいっせいに病気にかかってひどい飢饉となってしまったのです。彼らは、もはや新大陸をめざすしかありませんでした。一八四〇年だけでも二十万人以上がアメリカに渡っています。かのケネディ大統領の祖先も、このようなアイルランド移民船に乗ったひとりでした。そして、彼らが、新大陸においてもカトリックの伝統を引き継いでいくのです。
こうして、南北戦争までに、さまざまな国からアメリカへの移民は総計数百万人にも達することになります。そして、彼らは、できたばかりの鉄道に乗って、広大な土地西部へと向いました。こうした新大陸内外の移動には、四八年、西の果て、カリフォルニアで金が発見されたことでさらに拍車がかかりました。いわゆるゴールドラッシュです。
しかし、言うまでもなく、アメリカは、所有者なき土地であったわけではありません。詭弁と物資と実力で、インディアンを西に追いやればこそ、そこに所有者なき自由なフロンティアが作られたのです。その罪悪感は、やがて、アメリカ人たちに、土地を奪われたイギリスとインディアンが東西両面から攻めてくるという脅迫妄想を生み出しました。そして、その妄想は、イギリスがナポレオン戦争に参戦して大陸封鎖を試みたことにより現実味を増し、一八一二年にはついに、アメリカは対イギリス・インディアン戦争を開戦してします。これは、インディアンの側にしてみれば、まったく突然の悪夢としか言いようのない悲劇でした。いくら誇り高く勇敢なインディアンでも、戦争として武装した何万もの兵隊がいきなり押しかけてきたのでは、太刀打ちできません。このために、彼らは、大河ミシシッピー以西に逃れなければなりませんでしたが、その逃亡の間に一万四千人のうちの四千人もが死ぬことになってしまいました。
歴史
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2025.07.16
2025.10.14
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
