/今日、発売になった星野之宣『宗像教授世界編』第四巻に、この話が出ている。が、この2016年の記事は参考文献に挙げられていない。田久保晃『水田と前方後円墳』という2018年の本が、このネタを使っていて、そちらを挙げている。世に同じようなことを思いつく人はいくらでもいるので、べつにパクられたなどと騒ぐ気はないが、じつは古墳水田潅漑説には大きな欠陥がある。とりあえず再掲して追記しよう。/古墳は墓だ。だが、やたら天文にこだわっていた古代人にもかかわらず、その方位はばらばら。しかし、現地の様子をよく見ていくと、墓である以上に、防災水利施設としての必要性があったのではないか?/
しかし、これはおそらく計画倒れに終わった。というのも、このころすでに時代は政争の混乱に陥っていた。500年ころは大伴氏が勢力を誇っていたものの、539年には物部氏により失脚させられる。その物部氏は587年に蘇我氏と聖徳太子に討たれ、645年にはその蘇我氏も中(なかの)大兄(おおえ)皇子(おうじ)に滅ぼされる。この間に半島との関係も失われ、渡来人も減り、古代の国家規模のメガ土木プロジェクトも途絶え、西暦500年以前の日本の歴史の伝承も失われた。
※ 作図に関しては、埼玉大学谷謙二准教授が開発した「今昔マップ」および「Web等高線メーカー」を活用させていただいた。あらためてお礼申し上げたい。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『死体は血を流さない:聖堂騎士団 vs 救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)
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で、追記
わりとかんたんな話。纏向の箸墓古墳は、環濠が無いのだ。たしかに周囲にへこみの遺構はあるのだが、他の古墳に比して「環濠」というにはあまりに幅が広すぎる。おまけにこの古墳は斜面にあるために、もし山側の後円部突端のへこみの先まで全周に水平に水を湛えさせるなら、西側に5メートル以上の高さの堤防が必要になり、前方部は水没してしまう。つまり、このへこみは水を張る濠ではなく、もともとは土石流を逃がすための掘り込み溝だろう。なぜここに潅漑環濠が無かったか、というと、ここは潅漑の必要がなかったから。当時、このすぐ近くまで、古代の奈良湖の名残りがあって、ここは沼地の湿地帯。現代でもなお、このあたりは扇状地末端として多くの湧き水(酒造りの名所!)があり、むしろ排水路網を必要としている。だから、この記事では、わざわざ土石流対策と潅漑機能とを分けている。そして、古墳は両者を兼ねた大規模運河計画にとって代わって、その時代は終わる。
古奈良湖の推定域
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。