イソクラテスとプラトン:衆愚時代の青年教育の模索

2024.05.29

ライフ・ソーシャル

イソクラテスとプラトン:衆愚時代の青年教育の模索

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ペリクレスによるアテネの劇場型民主政は、疫病と敗戦で、目立ちたがりのデマゴーグ(大衆扇動家)たちやソフィスト(学識僭称者)たちに引っかき回されて迷走する衆愚政に陥った。ここにおいて、まともな青年教育を担おうとするイソクラテスとプラトン、両者の学校が大いに期待を集めた。/

彼のアカデミアには別の問題もありました。古代ギリシアで同性愛はそれほど珍しくありませんでしたが、プラトンのアカデミアは、ソクラテスとその元弟子たち同様、同性愛者だけからなるマッチョ集団でした。

おそらくソフィストや弁論家を軟弱者と嫌って集まったからでしょう」

そこで、奇妙なカルト集団という批判に対する弁護として、ソクラテスの弟子たちが愛の神エロスを讃美する演説を行う『饗宴』を前385年に書きました。そこでは、彼らは、自分たちは二人の男がくっついた太陽族の末裔であり、この世で失った欠落を埋めようとする同性愛者こそが最も男らしいと自慢し、最も美しいものである知恵を求める哲学が最も素晴らしい愛であると結論付けました。

「ノーコメント…」

さらに前380年頃、ソクラテスの処刑直前の議論として『パイドロス』を書きました。彼はそこでソクラテスをオルフェウス教徒に仕立て、哲学とは魂を浄化する死の練習だ、と言わせました。それによると、私たちの体は牢獄であり、私たちを地上の世界に縛り付けています。私たちが見たり聞いたりするものはただの影にすぎず、真実のもの、イデアは天国にあります。しかし、影もイデアの一部は共有しており、影、つまり言葉を考察することでイデアに近づくことができます。この方法は、対話による弁証法と呼ばれました。

「ついに、プラトンアカデミア独自の教育法がはっきり示されましたね」


政治と実践

イーソクラテスの弟子たちが活躍し始めると、56歳のイーソクラテスも政治に興味を持ちました。前380年の第100回オリンピックに向けて、彼は 『パネギュリック』、つまり、すべての国民のために、を公表しました。そこで、彼は、ギリシャ人はアテネのような自由な市民権の文化を持った民族であり、我々は団結してペルシアに対抗し、遠征によって文明を拡大すべきである、と主張しました。そして、戦争は平和のための競技だ、と彼は言いました。

「ふーん、国際情勢が大きく変わっていたのに、彼の考えは百年前のペリクレスと同じだったのですか?」

しかし、スパルタに対抗するために、アテネは実際にエーゲ海周辺の諸ポリスに呼びかけ、前377年に新たな同盟を結成しました。それはデロス同盟とアテネ帝国の回復にほかなりませんでした。

「プラトンには政治理論がなかったのですね?」

それを確立するのに、彼はさらに十年を要しました。前370年頃に公表された彼の『国家』によると、人間の魂は金、銀、青銅、つまり理性、勇気、欲望の混合でできており、これらの金属の割合によって、人は三階級に分けられ、金の民は統治者、銀の民は兵士、青銅の民は労働者となるべきだとされます。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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