イソクラテスとプラトン:衆愚時代の青年教育の模索

2024.05.29

ライフ・ソーシャル

イソクラテスとプラトン:衆愚時代の青年教育の模索

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ペリクレスによるアテネの劇場型民主政は、疫病と敗戦で、目立ちたがりのデマゴーグ(大衆扇動家)たちやソフィスト(学識僭称者)たちに引っかき回されて迷走する衆愚政に陥った。ここにおいて、まともな青年教育を担おうとするイソクラテスとプラトン、両者の学校が大いに期待を集めた。/

「すばらしい教育システムですね。それはおそらく、ソフィストたちだけでなく、ソクラテスさえも弟子の育成に失敗したことをよく知っていたからでしょう」


プラトンとピタゴラス教団

「ところでプラトンは、そのころ何をしていたんですか?」

イーソクラテスより九歳年下のプラトンは、立場が悪かった。彼はスパルタの手先としてアテネを支配した暴君クリティアスの甥であり、彼自身もソクラテスの弟子だったからです。だから、ソクラテスが処刑されたときも、彼は隠れていました。

「民主派は、彼も排除したかったでしょうね」

しかし、国際情勢は大きく変化しました。シチリア島西部で疫病が蔓延したとき、暴君ディオニュソスはフェニキア人を追放し、強力な国家シラクサを建てました。また、ペルシアは、小アジアの反乱軍を一掃した後、スパルタやアテネに対抗して、ギリシア内陸部のテーベを支援しました。ここでアテネは、かつてペリクレスが計画したイタリアとの挟み撃ち作戦を再び採用し、南イタリアのオルフェウス教ピタゴラス教団との連携強化を図りました。

「それがプラトンとなんの関係があるのですか?」

ソクラテスは母親とともに古代の大地母神を崇拝していましたが、彼の弟子の多く、アルキビアデス、クリティアス、プラトンは、オルフェウス教徒でした。

「大地母神の農耕宗教は死後の復活を信じていましたが、オルフェウス教はそれを覆し、この世界こそが冥界であり、ここから脱出して天上界に戻るべきだと主張したのですよね?」

外交政策の変更に乗じて、ソクラテスの弟子のオルフェウス教徒たちの復権をめざし、プラトンは、まずソクラテスの不当な処刑を告発しました。そこで彼は『ソクラテスの弁明』と『クリトーン』を書いて、ソクラテスの裁判と処刑を戯曲で描きました。


プラトンのアカデミア

時流に乗って、プラトンの最初の二冊の本は人気を博しました。それで、プラトンは、さらに『プロタゴラス』など、いくつかの対話篇を書いて、ソクラテスにかつての有名なソフィストたちにアレテー、つまり人間の徳について問い詰めさせきました。

「それらは実話ですか?」

じつのところ、プラトン自身がソクラテスの名を使って、ソフィストの弟子たちの残党を批判したものです。しかし、それらの対話を書く中で、彼は、善は知識だが、教えられない、という逆説的な結論に達し、『メノーン』でアナムネシスというオルフェウス教的理論を確立しました。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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