/ペリクレスによるアテネの劇場型民主政は、疫病と敗戦で、目立ちたがりのデマゴーグ(大衆扇動家)たちやソフィスト(学識僭称者)たちに引っかき回されて迷走する衆愚政に陥った。ここにおいて、まともな青年教育を担おうとするイソクラテスとプラトン、両者の学校が大いに期待を集めた。/
「アナムネシスって何ですか?」
それは回想です。彼によると、私たちは生まれる前に天国で善をすでによく知っており、この世で、なんらかのきっかけでそれを思い出すだけなのだそうです。
「結局、善とは何ですか?」
それを知るために、彼はエジプトに留学しました。そこでは、多くの優秀なオルフェウス教ピタゴラス教団員がこの世の汚れのない純粋な数学を通して魂を浄化しようと試みており、プラトンは彼らから多大な影響を受けました。
「つまり、彼もピタゴラス教徒になったのですね?」
そこで、彼はピタゴラス教団の中心地である南イタリアも訪れました。しかし、運悪く、彼らは隣のシチリア島のシラクサ僭主ディオニシウスと揉めていました。それで、彼は暴君ディオニュシウスのところに行って交渉しました。しかし、プラトンの善の説教はディオニュシオスを激怒させ、彼は奴隷として売られてしまいました。
「何の経験もないやつが、きれいごとばかり言えば、だれだって怒るのは当然でしょうね」
幸い、知人が彼を見つけて買い戻してくれました。プラトンは彼に返済しようとしましたが、知人はその金でアテネ北西のアカデミーの森に小さな家を買い、それをプラトンに与えました。それで彼は、40歳のとき、前387年にそこに小さな学校を開きました。
イーソクラテス対プラトン
「しかし、プラトンの学校に通いたい人はいたでしょうか?」
ええ、既存のイーソクラテス学校は、より確立された教育システムを持ち、ゴルギアス以来の実績を誇っていました。一方、プラトンは、人気の天才作家でした。だから、彼は新著『ゴルギアス』ですぐイーソクラテス学校を批判して、その中でソクラテスにゴルギアスを非難させました。
「ライバルに対する攻撃のために師匠ソクラテスの名前を利用するなんて、卑怯なやつだなぁ」
彼のうまいのは、彼の考えが師ソクラテスとまったく違うわけではなかったことです。彼はここで術の比喩を持ち出しました。彼はソクラテスに、化粧術に対して医学術があるのと同じように、演説術は物事を良く見せる技術にすぎず、物事を本当に良くする哲学ほど優れているわけではなく、また、他人に優る人ではなく、自分の弱さを克服する人が真のアレテーを持つ、と語らせました。
「しかし、イーソクラテスにとって、スピーチライティングは信念の正しさを検証する手段に過ぎませんでしたよね。それの方がむしろソクラテスのやり方に近いでしょう」
哲学
2023.11.23
2023.12.30
2024.03.05
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2024.09.10
2024.09.14
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。