イソクラテスとプラトン:衆愚時代の青年教育の模索

2024.05.29

ライフ・ソーシャル

イソクラテスとプラトン:衆愚時代の青年教育の模索

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ペリクレスによるアテネの劇場型民主政は、疫病と敗戦で、目立ちたがりのデマゴーグ(大衆扇動家)たちやソフィスト(学識僭称者)たちに引っかき回されて迷走する衆愚政に陥った。ここにおいて、まともな青年教育を担おうとするイソクラテスとプラトン、両者の学校が大いに期待を集めた。/

しかし、プラトンより九歳年上の74歳のイーソクラテスは、さらにひどかった。彼の弟子たちの活躍は目覚ましかったのに、彼はあい変わらずギリシアにおけるアテネの覇権を信じて、無謀にもペルシアの支援を受けたテーベに対する徹底抗戦を主張し、もうだれも彼の言うことを聞かなくなりました。

「状況を理解せず、みずから戦わない老人は、いつも勇敢ですね。しかし、それはただ彼らがボケだだけでしょう」

プラトンも、あい変わらず、奇妙なピタゴラス数学に基づいた政治理論を模索していました。彼は、その思想の集大成として、『ソフィスト』『政治家』『哲学者』の三部作を計画しましたが、完成させられませんでした。彼はそこで詐欺術の批判や議論による弁証法を論じましたが、真理の創造は、人のものではなく神のものであると感じたからです。

「まあ、私もそう思いますよ」

そこで彼はこの問題を神の側で検討し、新たな神話的三部作、『ティマイオス』『クリティアス』『ヘルモクラテス』を計画しました。彼は『ティマイオス』の中で、デミウルゴス神が宇宙と人間を創造する過程を説明しました。『クリティアス』では、最初の文明国家アトランティスとその堕落を描き始めましたが、そこで止まってしまい、その後の歴史についての『ヘルモクラテス』は書けませんでした。

「どうして彼はいつも考えを完成させる前に書き始めてしまうのだろう?」

整理も校正もせず、彼は思いついた端から書くからです。だから、彼の話は余談と脱線だらけです。しかし、デミウルゴスのアイデアで、彼は、多を一に結び付ける長年の問題の解決策を思いつき、前355年頃に『フィレボス』を書きました。それによると、宇宙は物質と理性の混合でて創造され、人間も部分的には理性的な魂を持っています。だから 、視覚と知識の違いによる肉体的な苦痛に対して、魂は、それらの統一を求めます。その正しい道は数理哲学である、と彼は考えました。

「それだけですか? それは新しい発見ではなく、古い断片的な教義をどうにか辻褄合わせしただけのようですが」

この頃、アテネは窮地に陥っていました。海洋同盟内で、テーベなどが反乱を起こして戦争が始まり、ペルシアもアテネへの侵攻を計画していました。そこで、81歳のイーソクラテスは、前355年に『平和について』と『アレオパギティクス』を公表し、アテネに帝国的搾取と衆愚的政治を止めるように呼びかけました。しかし、彼の計画はアテネに元老院を復活させ、正義の名のもとに、それにギリシア全土を統治させることでした。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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