/コロナとともに、「近代」が終わろうとしている。しかし、それは何だったのか、次はどうなるのか。それを読み解く鍵は、中世が終わり、近代が始まったころの世界の大変革を理解することにある。/
自分自身を問題として問い詰める〈内省〉は、〈クセジュ(何を私は知っているのか?)〉という問いかけの方法を通じて、種々の知見を収集し、人知の限界を自覚し、克己の良識を確立しようとするものとなっています。そして、むしろ、「空のことより自分自身に注意せよ」として、人知の限界を越えて神や宇宙について論じる神学や形而上学の傲慢さを戒めています。
内省は、皇帝マルクス=アウレリウスの『自省録』のように、ローマ時代の安心哲学以来の重要な哲学の方法でした。しかし、中世の絶対的な神と教会の登場とともに、自分自身で考察し決断するという態度は消滅してしまっていたのです。そして、ルネサンスにおいては、レオナルド=ダヴィンチの自画像のように、内省的な自我が芽生えてきますが、しかし、それはあくまで自己の中に無限の可能性を認める、いかにもルネサンスらしい自由奔放なものでした。
これに対して、モンテーニュにおいては、人知の限界を自覚し、克己の良識を確立しようとする点において、その内省は冷静で客観的なものであり、人間性を直視する人文学として、また、人間性を向上する教養学として、充分に「哲学」と呼ぶことができるものです。そして、このような人間性を探究する人々は、広く「モラリスト」と呼ばれ、フランス文化の伝統となっていきます。
一五八〇年、四七歳のモンテーニュは、この『エッセー』を出版します。しかし、翌年には、彼は父と同じくボルドー市の市長に推挙されたため、やむなく宗教紛争や疫病流行の困難な時代の政治を行うことになります。それでも、彼は、『エッセー』の書き足しや書き直しによって内省を重ね、思索を深めていきます。そして、いまだ新旧両教の紛争のさなかにあった新王アンリ四世(1553~即位89~1610)は、賢明なモンテーニュに国家の要職の就任を強く要請しますが、彼は固く辞退し、九二年、五九歳で死去してしまいます。
経験知・直感知の実証研究化
ルネサンスにおいては、神学や社会の制約がゆるみ、実利を目的として多くの冒険的技術者がさまざまな物事を試行錯誤で探究しました。また、異端的研究者たちも、キリスト教神学とは異なる古代世界や東方世界の思想に接して、まったく新たなひらめきを得ることも少なくありませんでした。しかし、このルネサンスの中心地イタリアは、宗教革命期の「イタリア戦争」(1521~44)、とくに皇帝カール五世の「ローマ破壊」(1527)によって、学芸の振興を支えてきた経済の繁栄の幕を閉じることになってしまいました。
歴史
2021.08.20
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2021.09.09
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2022.01.14
2022.01.21
2022.06.19
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。