中世から近代へ:文明論の視座から

2021.09.26

ライフ・ソーシャル

中世から近代へ:文明論の視座から

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/コロナとともに、「近代」が終わろうとしている。しかし、それは何だったのか、次はどうなるのか。それを読み解く鍵は、中世が終わり、近代が始まったころの世界の大変革を理解することにある。/

 彼の時代、ヨーロッパ大陸ではガリレオ(1564~1642)やケプラー(1571~1630)が地動説を主張して活躍した時代であり、中世の常識が近世の科学によって克服されていった時代でした。この時代にあって、彼は、[アリストテレス論理学による思弁主義]に対して[観察と実験からの否定的帰納法による経験主義]を主張することによって、中世の神学と近世の科学の方法の違いを明確に示したのであり、まさにこの研究の方法の違いによって、近世の科学が特徴づけられるのです。そして、彼は、この科学の方法の明確化によって、その後の多くの科学者たちに大きな影響を与えることになります。

 彼はまた、『ニューアトランティス』という著作において、科学技術によって繁栄するユートピア(理想社会)を描きます。そこには、飛行機や潜水艦などのさまざまな科学的発明が予言され、国家の行政から個人の結婚までが中央科学研究所によって誤謬も失敗もなく科学的に決定される、とされています。そして、このような科学主義社会は、今日でこそ環境破壊や人権抑圧と元凶とされるものの、つい最近までは実際に世界中で人類の理想とされてきたのです。

 彼は、科学の方法を実践すべく、みずからもさまざまな実験を行います。そして、二六年、雪中の肉の冷凍保存実験でカゼをひき、彼は死んでしまいます。その後の近代科学の発展には、このベイコンの観察と実験からの否定的帰納法による経験主義とともに、ルネサンスで復興されたピュタゴラス=新プラトン主義的な数学的世界観を必要としていましたが、ベイコンはイギリスという辺境にあって、後者をまったく欠いていました。このために、彼自身は科学の研究者ではなく、科学の予言者にとどまらざるをえませんでした。それでも、彼は、その立身主義的な生き方においても、その科学主義的な考え方においても、近代人の先駆的象徴であったと言うことができるでしょう。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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