/コロナとともに、「近代」が終わろうとしている。しかし、それは何だったのか、次はどうなるのか。それを読み解く鍵は、中世が終わり、近代が始まったころの世界の大変革を理解することにある。/
また、新教カルヴァン派の多かったオランダも、一五六八年、領主オレンジ家を中心に、ハプスブルク家の支配する旧教国スペインからの独立戦争を起こします。そして、これとともに、オランダは、中世からのバルト海貿易に加えて、新たにポルトガルから力づくでインド貿易を奪い、これまでのスペインに代る新たな国際貿易国家として世界各地へと乗り出して行きます。そして、これまでのイタリアに代る新たな先進自由都市として、ここに多くの優秀な技術者や貿易商や知識人も移り住んで来るようになりました。こうして、オランダは、英仏独という北ヨーロッパ諸国の中央に位置して、しだいに経済的・文化的な中心地域として発展していったのです。
しかし、ドイツでは、もともと中世以来、諸侯割拠の状態にあり、くわえて、宗教改革以後は、それぞれの諸侯がそれぞれに旧教徒や新教徒と結んで対立するようになってしまいました。すなわち、北独では、新教ルター派が優勢であるのに対して、南独では、ドイツ全体の連合体制である神聖ローマ帝国の皇帝を出すハプスブルク家の旧教が強力でありながら、新教ルター派や新教カルヴァン派も混在している、という状況でした。
このように、一五一七年に始まった宗教改革は、しだいに貴族領主を中心とする旧教徒と、成金市民を中心とする新教徒の対立となっていったのであり、このために、両者の間の宗教戦争は、市民革命的な性格も含んだ「宗教革命」だったのでした。
しかし、フランスでは、成金上層市民が土地を買って買地貴族領主となり、また、官職を買って買官貴族官僚となり、一時は中央集権的な勅任雇用官僚の制度と対立して「フロンドの乱」(1648~53)を起こしたりもするものの、その後は、ヴェルサイユ宮殿を中心とする王室サロンに吸収され、中央集権絶対王政を確立していくようになります。
また、オランダは、古い中世自由都市型の共和国となったために、総督オレンジ家への中央集権が不徹底であり、「チューリップ狂」時代(1636)とその後の不況、イギリスやフランスとの覇権争い(1652~78)などの戦乱によって衰退していきます。
そして、ドイツは、周辺諸国がすでにこの「宗教革命」を経て、親旧教領主体制から親新教市民体制に転向していたために、国際的な介入を受け、地域小邦ごとの利害に終始して、領主と市民の分離が起らず、時代から取り残されていきました。
このような新旧両教の政治的対立において、「魔女狩り」という名目で敵対者を計画的・組織的に殺害することも流行しました。この中には、ただたんにはじめから財産没収を目的として、資産家などを「魔女」にでっちあげて殺してしまうことも少なくありませんでした。いずれにしても、このように宗教は政治の道具としてふたたび勢力をもりかえし、国際紛争の中、官僚制と常備軍を持つ近代の絶対国家への勢力統合とともに、[王権は神から授けられたものである]とする《王権神授説》によって、明確に国王権力の中核の一部をなすことになります。
歴史
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。