中世から近代へ:文明論の視座から

2021.09.26

ライフ・ソーシャル

中世から近代へ:文明論の視座から

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/コロナとともに、「近代」が終わろうとしている。しかし、それは何だったのか、次はどうなるのか。それを読み解く鍵は、中世が終わり、近代が始まったころの世界の大変革を理解することにある。/

 そして、一六〇一年のブラーエの死後は、ブラーエの残した観測結果を分析し、彼は、〇九年の『新天文学』、一九年の『宇宙の調和』において、音楽からの連想から、惑星の軌道と速度に関する〈惑星運動の三法則〉を明らかにしました。ここにおいて、彼は、磁気を研究したギルバートの影響から、[宇宙は太陽の磁気を動力とする巨大機械である]と考えていました。また、彼は光学や幾何学などの研究も行いましたが、いずれにしても、その一生は病気と貧困がつきまとい、通俗的な占星術だけが彼の収入の手段でした。そして、彼は俸給請願の国会陳情の最中に五九歳で亡くなってしまいます。


フランシス=ベイコンの科学の方法

 フランシス=ベイコン(1561~1626)は、新興階級である勅任貴族官僚の家庭に生まれました。そして、彼は穏健的なケンブリッジ大学に学びましたが、しかし、古くさいスコラ学はもちろん、アリストテレス哲学にも大いに不満を抱いただけでした。その後、父親が急死してしまったうえに、遺言がなかったために遺産も相続できず、司法官僚になる努力をしますが、これも失敗してしまいます。ようやく下院議員の議席を獲得すると、彼は弁論の才能を発揮しましたが、しかし、逆にこのことが女王エリザベス一世(1533~即位58~1603)の不興を買い、それ以上の官職を獲得することもできず、不遇に甘んじていなければなりませんでした。

 しかし、一六〇三年、女王が死去してジェイムズ一世(1566~即位1603~25)が即位すると、ベイコンもようやく頭角をあらわし、国王の愛顧を受け、ついには大法官の地位と子爵の身分を獲得しました。ジェイムズ一世は、みずから王権神授説を提唱するような中世的で尊大な人物でしたが、一方のベイコンは、近代の合理主義と利己主義の象徴のような人物でした。若いころの不遇も原因ではあるでしょうが、彼は露骨な猟官、法外な贅沢、強引な借金、薄情な忘恩、悪辣な汚職を重ねて、政治のナンバー二まで成り上がっていくのです。

 彼のような近代急進的人間が、ジェイムズ一世のような中世反動的人間に気に入られたのは、おそらく、彼が立身出世のためにドライに権力に媚びへつらったからであり、また、ジェイムズ一世も、近代絶対王制の基礎を固めるために、彼のような有能辣腕な近代的官僚をどうしても必要としていたからでしょう。同じころ、権謀術策が入り乱れるシェイクスピアの政治史悲劇が多大な人気を博したのも、このような打算的政治状況を反映し、皮肉っていたからでしょうか。実際、シェークスピアの地球座劇場には、「この世のすべては演劇だ」という言葉が掲げられていました。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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