/コロナとともに、「近代」が終わろうとしている。しかし、それは何だったのか、次はどうなるのか。それを読み解く鍵は、中世が終わり、近代が始まったころの世界の大変革を理解することにある。/
これは、中世ではローマ教会が全体的に支配していたのに対し、近代では国民国家が地域的に支配するようになった、ということであり、宗教支配が国家の中に採り込まれていった、ということです。したがって、ヨーロッパのキリスト教支配は中世において終ったのではなく、近代においても已然として続いたのです。このように見ると、ルネサンスは、この宗教構造の組み換えの一時的な真空状態にすぎなかったと言えるのではないでしょうか。
途上新興国イギリス
辺境のイギリスにおいては、イタリアでルネサンスが開花していたころは、フランスとの間で大陸側の領土に関する「百年戦争」(1339~1453)があり、また、この敗退後、ポルトガルやスペインが世界に乗り出したころには、国内の王位争いである「ばら戦争」(1455~85)があり、これらの戦争を通じて、国王を中心とする諸領主貴族の中央集権的統一が成立していきました。つまり、国王は、地方分権的な領主貴族を政府の役職に勅任することによって、全国組織としての国家政府を確立していったのです。
その後、イタリアもポルトガルもスペインもオランダも、その繁栄を持続させることができず、結局はあいついですぐに没落していきました。これらの国々は貿易の中継によって繁栄していたにすぎず、また、その収益も戦争や贅沢によって流出させてしまい、主流となる貿易の相手地域が変化してしまうと、別の中継国にその地位を奪われざるをえなかったからです。
そして、最終的に台頭してきたのは、むしろ、これらの中継国に貿易品・贅沢品として恒常的に毛織物を生産輸出していた辺境国イギリスの方でした。とくに、国王の離婚問題をきっかけとして一五三四年にイギリス国教会が創設され、国王が膨大なローマ教会財産を没収売却したことで、政府が独自の財政基盤を築くとともに、多くの自営農民(ヨーマンリー)や中小地主(ジェントリー)もその経営資本を獲得し、貧しかった北西部の農村を中心に、毛織物のほか、さらに商業作物や加工農産物や金属皮革製品などをも生産するようになっていきます。
くわえて、大陸での新旧両教の対立が激化した十六世紀の後半にもなると、新教徒として亡命を迫られていた先進国の熟練者を積極的に受け入れたので、技術改良が進展して、生産性も向上していきます。こうしてイギリスでは、戦争や贅沢に浪費した旧来の領主貴族が没落する一方、国王は新興の地主や商人を官僚貴族に抜擢し、国民と国王とが一体となって富国強兵に努力する近代の絶対主義的国民国家が成立していったのです。
歴史
2021.08.20
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。