中世から近代へ:文明論の視座から

2021.09.26

ライフ・ソーシャル

中世から近代へ:文明論の視座から

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/コロナとともに、「近代」が終わろうとしている。しかし、それは何だったのか、次はどうなるのか。それを読み解く鍵は、中世が終わり、近代が始まったころの世界の大変革を理解することにある。/

 この後、金融名家メディチ家は、コジモ一世(1519~74)を中心に勢力を盛り返し、六九年にはフィレンツェのみならずトスカナ地方全体支配する貴族領主にまで成り上がっていきます。彼は先駆的な近代絶対専制君主でしたが、かつてルネサンス最大のパトロンであったメディチ家にふさわしく、再び学芸を強力に保護し、ピサ大学の改修などに尽力しました。こうして、イタリアは、かつての経済力は失ったとはいえ、ルネサンス以後の非キリスト教文化の中心として再生することになります。

 また、北ヨーロッパでは、宗教革命の後、かえって中世以上に一般俗衆にまでキリスト教が浸透し、中世では進歩的であったパリ大学やオックスフォード大学も急速に保守化して、文献に基づく思弁的研究に終始するようになってしまっていました。しかし、この宗教革命の影響を免れたイギリスや北ドイツなどの辺境地域では、ルネサンス時代の冒険的技術者の経験知や異端的研究者の直感知を実験や観察によって追証しようとする人々が現われてきます。

 たとえば、人文学的な見地からルネサンスにおいてすでにイタリアのレオナルド=ダヴィンチ(1452~1519)などの画家が人体に関心を持っていましたが、神聖ローマ皇帝カール五世の薬剤官の家庭に生まれたベルギーのヴェサリウス(1514~64)は、パリ大学、ついで、イタリアのベネチアの西隣都市のパドウァ大学で医学を学んで、医学的な見地から多くの解剖を行い、一五四三年、実際の観察に基づく『人体解剖学』を出版しました。

 イギリスのギルバート(1540~1603)は、ケンブリッジ大学で数学や医学を学び、ロンドンの開業医となりますが、おりしも大航海時代にあって船員や軍人が活用していた磁石に関心を持ち、これについてさまざまな実験を行います。そして、彼は磁気や磁界の関係を解明し、さらには、静電気を発見し、また、[地球が大きな磁石である]ことなどを発見し、これらの解明や発見を一六〇〇年の『磁石論』にまとめました。この著作には、いまだ神秘主義的な表現が少なくありませんが、しかし、その実験や理論の体系的な構築は、その後の科学的研究方法の模範となっていきました。また、彼は〇一年には、女王エリザベス一世の侍医にもなっています。

 デンマークの領主貴族ティコ=ブラーエ(1546~1601)は、ライプツィヒ大学で法律学を学び、ドイツやスイスを遊学した後、一五七十年に帰国します。しかし、その後、彼は天文観測で広く知られるようになり、七六年にはデンマーク国王の支援によってフヴェン島に肉眼による天文観測所を開設し、継続的な天文記録を残していくことになります。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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