/相手が去っても、愛は残る。平穏無事とは名ばかりの空虚な一生よりも、たとえいつか彼女が去ってしまうとしても、人生のすべてを賭けて、泣いたり、笑ったり、幸せな思い出がつまったリアルな人生を選ぶ。それがウィルの新たな決断。/
それは、彼女が十代から芸能界にいて、その軽薄な恋愛の悪弊に染まっている、というだけではあるまい。スターとして成功すべく、みずから進んで自分の虚像の誇示こそを生きがいとし、そのためには人の胸でも尻でも映像として借りる。その一方、自分の醜聞が記録に残ることを恐れ、人の誘い、人の枠にはめられることは、すべてNO。そのせいで、彼女の実像は、空虚だ。
そして、ヘンリー・ジェイムズ以上に、アナの人物像を示しているのは、この映画の主題曲、シャルル・アズナヴールの『She』(1974)だろう。この曲は、最初からフランス語だけでなく、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語でも歌われ、国際的なヒットとなった。しかし、この彼女、素敵、というより、エクイヴォケィティヴ(両義的)で、小悪魔的で、リスキー。表面だけで、実体が無い。
- 彼女は、忘れられない面影になるのか。
- 喜びの名残か、後悔の爪痕か。
- ぼくの宝物になるか。
- それとも、手痛いツケになるのか。
- 夏が謡い上げる歌になるかと思えば、
- 秋が連れてくる冷気のようにもなる。
- 彼女は、いく百もの違う顔を見せる、
- たった一日の間にも。
アナの心の変化(アーク)
先述のように、映画はウィルの視点で話を追っていくせいで、映画の観客は、自分の見ていること、思っていることを、ウィルも見て思っている、とかってに投影してしまうが、目が悪く芸能界にうといウィルが見て思っていることは、それとは大きくズレている。ウィリアムは、妹の誕生パーティでの彼女の「冗談」、そして、屋上で『鳩の翼』の書名が出たあたりから、彼女の内面の空虚さに薄々気づく。しかし、気づいたからこそ、アナに対してよけいなことは一言とも口にせず、潜水艦アクションもいいんじゃないか、などと、彼女を気づかう。
しかし、アナがずっとハリウッド的な空虚のままだったわけではない。いくつかの大きなターニングポイントがある。ウィルの妹の誕生日会の後、アナが高級住宅地のプライベートパークの柵を乗り越え、ウィルも中へ。キスをして、しばらく歩いたところに、木のベンチがある。そこに刻まれた文字をアナが読む。この庭を愛したジュンへ、いつも隣に座っていたジョセフから。アナは、ちょっと黙り込んで言う、一生を添い遂げる人たちもいるのね。
実際の映画では、この先が当初の脚本から修正されている。この言葉を聞いて、ウィルはうなずくのではなく、ちょっと驚いた表情を見せる。脚本では、二人が立ったまま、アウェイアウトということになっているが、映画では、その間にもアナがベンチに座り、こっちに来て横に座って、とウィルに声をかける。それでウィルはゆっくり歩いて行って座るには座るのだが、ベンチの反対の端で、アナとはかなり離れたまま。
映画
2018.03.15
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2023.02.17
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。