/相手が去っても、愛は残る。平穏無事とは名ばかりの空虚な一生よりも、たとえいつか彼女が去ってしまうとしても、人生のすべてを賭けて、泣いたり、笑ったり、幸せな思い出がつまったリアルな人生を選ぶ。それがウィルの新たな決断。/
ましてゴシップ新聞なんかまったく読まないから、芸能界なんて、彼にはまったくリアリティが無い。そう、「リアル」という言葉は、この物語のキーワードだ。二時間の映画の中に、この言葉が、なんと56回も、つまり2分に1回は出てくる。リアル、というのは、ラテン語の re から来ていて、実物、実体、手で握れる、というような意味。
書店にアンが来たときも、「その本は、ほんと(really)に良くないですよ」なんて言う。でも、アンは「ほんとに?」と切り返し、むしろその本を買っていく。とくに重要なのが、アナが青いドアの家を帰る間際。「会えてよかった。surreal だけど nice だった」なんて口走って、アナが出て行った後、surreal だけど nice だなんて、おれ、なに考えてんだ? と自問している。ウィリアムにとって、女優アナは、SFの火星人か童話の妖精なみに、シュリアル、リアルを超えている。現実味が無い。
隠されたアナの姿
この映画、じつは、いま大学の講義で、学生たちと作品分析をしている。大半は、すてき、最高、良かった、と絶賛するものの、少なからぬ学生、とくに男子学生が、不愉快だ、と言う。とにかく、会ったばかりのウィルにアナいきなりキスするところからして理解しがたい。まして、彼氏がいるのにウィルにちょっかいを出すなんて、論外。そのくせ、困ったら助けてくれとか、助けてもらったのに罵りまくるとか、あまりにも身勝手すぎる、こんな女を、あの人の良いウィルが追いかけるなんて、どうかしている、と。
そう、アナも、そのアナに惹かれるウィルも、まさにどうかしているのだ。ヒロインの名前がアナであるように、表向き、この物語は『ローマの休日』(1953)のオマージュだ、ということになっている。だが、アン王女と女優アナは、あまりに性根が違う。
この作品の基底になっているのは、ヘンリー・ジェイムズの国際小説、欧州と米国の文化摩擦ものだ。ヘンリー・ジェイムズの名前は、作品の中にも出てくる。ヌードスキャンダルでアナがウィリアムの家に逃げ込んできたとき、屋上でチンケな潜水艦映画のセリフの練習をするのだが、ウィリアムが、これも悪くないけれど、ヘンリー・ジェイムズがきみに似合うよ、と言い、また、翌春のロケで撮影していたのが、まさにそのヘンリー・ジェイムズの『ロンドンの攻囲』(1883)(マックスが投げてよこした新聞の記事に詳細が書き込まれている)。
映画
2018.03.15
2018.05.12
2018.08.29
2018.12.07
2018.12.14
2019.06.08
2020.01.25
2021.05.03
2023.02.17
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。