14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第3章|価値〉第6話
さて、再び設問にもどって、翔太は桜をどう見ていたのでしょう。残念ながら翔太はそのとき、桜の美しさを味わっている心の余裕がありませんでした。もし、サッカーの試合での失敗がなければ、彼は玲子や夏穂といっしょになって、桜をめでていたでしょう。
このように、同じ桜の花に対して、これだけ違った「美しい」の受け取りがある。桜は人間がそれを美しいとか美しくないとか言うのとは無関係に、ただ咲いているだけです。となると、美はいったいどこにあるのでしょうか。
もちろん「美しい」のもとになる性質は桜が持っています。桜が地に根を張り、冬の寒さをじっと耐えて、一生懸命に繊細な色合いの花を咲かせようとしている。それは良いことに通じ、生きる力の根源に近い性質です。ただ、その性質がそのまま「美しい」ということではありません。「美しい」というのは、あくまで人間が見い出し、感じるものなのです。そのため、いくら桜がすばらしく咲いていても、そこに人間がいて、「美しい」と感じてやらなければ、そこに美しい桜はなく、単に桜が咲いているだけなのです。したがって、美はどこにあるかといえば、それは最終的には、「美しい」と感じた人の心のなかにあるといえます。
[文:村山 昇|イラスト:サカイシヤスシ]
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14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』
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キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。