14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第5章|人生〉第3話
実際のところ、すでに職業を持った大人たちでさえ、「これがほんとうに自分のつきたかった仕事だろうか」と考えている人はたくさんいるでしょう。深く強い理由を持たずに、たまたまのなりゆきで就職するケースが多いのです。ただ、そうしてついた職業であっても、働いていくうちにその職業の奥深さを発見し、やりがいを見出していくことはじゅうぶんにあります。
ありあまる自由のなかで、人は2種類に分かれていきます。1種類めは、自由をどう生かしてよいかわからず、できればだれかに「ここはこれを選びなさい」とか「将来はこのレールの上を走って行きなさい」とか言ってほしいと願う人です。この人は自由をすすんで活用することを敬遠します。言ってみれば、自由という心地のよいソファに寝ころんで、動くのがやっかいだと思っている状態にあります。もし、あなたが、悠人のように就職がある程度決められている人生をうらやましく思うのであれば、その姿勢はこの種類に属するものです。
そして2種類めは、自由を積極的に活用し、どんどん自分の進むべき道を創造していく人です。この人は自由を楽しむことができ、自分が選んだことに対し責任を負っていこうとします。それでなにか失敗したり、痛い目にあったりしても後悔しません。いわば、自由という剣(つるぎ)を武器にして、人生を切りひらいていこうとする姿勢です。
さて、悠人はほんとうに自由がないのでしょうか。店を継がなければならないという一点ではたしかに自由はありません。しかし、長い目で見れば、じゅうぶんな自由があると言えないでしょうか。その店を自分のアイデアで変えていく自由。あるいは、何年か商売経験を積んだのちに、それを生かしてまったく新しい商売を始めてみる自由。そう考えると、悠人はやはり自分の未来を無限に変えていく可能性を手にしています。
自由があるかないかという観点からすると、じつは悠人も健もどちらも大差はありません。あるのは、まぢかの就職先が多少見えているかいないかという表面的で小さな差です。そんなことより二人にとってほんとうに大事な問題は、心の姿勢として、自由をおおいに生かそうという意欲に満ちているかどうかです。
欧米や日本などの先進諸国は、自由というものを2段階にわたって獲得してきたといえます。1段階めは「~からの自由」の獲得です。そして2段階めに「~への自由」の獲得です。
最初の自由は、人びとが制度上の束縛や制限から自由になることをいいます。民衆は長い時間をかけて権力者と戦い、社会が基本的人権を保障して、表現の自由や法のもとの平等を認めることを実現させました。この自由は簡単に言えば、「不自由な状態からの自由」です。
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キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。