14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第5章|人生〉第3話
〈じっと考えてみよう〉
健(けん):「将来つきたい職業は?」って課題作文、うーん、どんな職業がいいのかわからないよ。いまさら「プロ野球選手になるのが夢です」なんて書けないし。その点、悠人はいいよな。自分んちが大きな店やってるから、それを継げばいいんだろう。
悠人(ゆうと):あぁ、長男だから継がなきゃだめだろうなぁ。店をやっていくことが自分に合ってるのかどうか、わからないけど。
健:でも、将来が決まっていると、どんな勉強やればいいかがはっきりするからいいよな。進学先だって、就職先だって悩む必要なしだ。
悠人:自由のないことがそんなにいいことかな? ぼくは自分の将来を選べないんだよ。でも、健は選べる。自分のなりたいものに、なんだってなっていいんだ。100%自由があるわけさ。うらやましいよ。
健:自由がありすぎても困りものさ。いっそ、だれかが決めてくれたほうがラクなこともあるよ。
□就職先について、あなたは悠人のようにある程度決められている人生がいいだろうか? それとも健のようにまったく決まっていない人生がいいだろうか?
□悠人は自分には自由がないと言っているが、ほんとうに自由がないのだろうか。
悠人に自由があるとすればどんな自由か?
□あなたは「自由がありすぎて困る」と思ったことはあるか?
人類の歴史を振り返ってみると、人が自由に意見を表明できたり、自由に職業を選べたりするようになったのはつい最近のことです。日本も江戸時代(つい150年前)までは、表現の自由は制限され、身分制度があって職業や階級は家系によって決まっていました。言いたいことを社会に広めようとしたり、身分制度を逸脱することは、命を危険にさらすことでした。
いまでも世界中を見わたせば、人の自由が大きく制限されている国は多い。ですから、今回の設問のように、自分がなりたいものにはなんだってなれる自由を手にしていながら、その自由にとまどってしまうというのは、自由を持っていない人からすれば信じられない悩みにちがいありません。手に入れた自由をどう生かすかというのは、人類史からみれば比較的新しい問題であり、未来への大事な課題でもあります。
さて、設問文をみてみましょう。悠人も健も将来つきたい職業について「これだ」という具体的な望みはありません。もちろん、いまの時点で望みがないことはべつに悪いことではありません。中学、高校、大学と、勉強やその他の活動をやっていくなかで、じょじょに考えていけばよいものです。しかし、大人になれば自動的にやりたい仕事がみえてくるのかといえば、そうではありません。
次のページ1段階めは「~からの自由」の獲得です。そして2段階めに...
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キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。