14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第5章|人生〉第2話
まわりの人たちをよく観察するにつけ、また、テレビなどに出てくる有名人をながめるにつけ、さらには歴史上の人物を読書で知るにつけ、この世にはほんとうにたくさんの生きる姿があるのだなと気づきます。そうした千差万別の多様性こそ、人間が生きることの複雑さや奥深さを表わしているともいえます。
さて、問題はあなたの「生きる」です。あなたの「生きる」も、まちがいなく、とてつもない複雑さや奥深さをもっています。ただ、それがどれほどのものかは、あらかじめ目に見えません。あなたの「生きる」は、現時点では、真っ暗な蔵のなかにつるされている「なにか」です。そのたたき方によって、鳴り方がちがってくるのです。
もし、あなたが生きることに対して、「自分って才能ないし、がんばっても限界あるよな」とか、「生きるって、こんなものか。楽しいこともないし」とか、そんなようなしらけ、あきらめ、割り切りの気持ちで過ごしていくなら、蔵のなかの「なにか」はちっぽけな音しか鳴らさないでしょう。あなたは割り箸くらいもので、いいかげんにたたいているだけだからです。
しかし、もし、あなたが大きな丸太を持ち上げて、強くどーんとたたけば、その「なにか」は必ずゴォーンと鳴るものです。その「なにか」はそもそも立派な梵鐘なのですから。そして、その奥深いゴォーンという音は、打った本人のみならず、村じゅうに響いて、人びとに時を知らせたり、心を落ち着かせたりするはたらきをします。鍋・やかんが、せいぜい自分が食べるためだけの役しかはたさないことを考えると対照的です。
「丸太で強くたたく」とはどういうことでしょう? 「丸太で」とは、自分自身が丸太のように太く頑丈になるということです。そのために、自分の才能をいろいろ磨いていく、自分の健康を増進していく。「強くたたく」とは、強い思いを持ってものごとに当たっていくことです。「いまは自信がない。ないけれども、何度もチャレンジすることで自信はついてくるものだ」「動いた分だけなにかが見えてくる。もっと動こう。その先を見るために」「しんどいけど、そのしんどさがあるからやりがいもある」といったような気概(きがい)のことです。
どんな環境に、どんな自分で生まれようと、その生は深い音のする立派な梵鐘です。鐘をたたいてみて、小さな音しか鳴らなくても、鐘にケチをつけるのは筋違いです。それは鐘の問題ではなく、あなたのたたき方の問題なのですから。
[文:村山昇|イラスト:サカイシヤスシ]
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キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。