/当時、私度僧でも功績によって僧官になる道があり、兼好もまた二十代後半で出家して寄進斡旋や和歌名声でこの道をもくろむも、すでに僧籍は寄進貴族の子女に占められており、兼好は形ばかりの仏道に甘んじる無行で開き直る。しかし、四十代後半、倒幕による命の危機を感じるに至って、わずか数年で『徒然草』を書き上げる。/
このようであるから、兼好はもちろん多くの上の人々にとって、もはや大寺院官僧の語る密教法力など話にならなかった。しかし、このことはまた、浄土教が庶民に語る極楽来世の魅力も、もはや通用しないことを意味していた。たしかに兼好は「後の世のこと、心に忘れず、仏の道、疎からぬ、心にくし。」(4)(来世を思い、仏道に親しむのは好ましい。) 「是法法師は…学匠を立てず、ただ明暮、念仏して、安らかに世を過ぐすありさま、いとあらまほし。」(124)という。だが、兼好は、極楽往生を語る浄土教を本気で信じていたわけでもなさそうである。「(法然上人は)「疑ひながらも念仏すれば、往生す」とも言はれけり。」(39)
それどころか、兼好の言う仏道は、口唱念仏すらしない、さらに極端な易行である。「(尊き聖の言ひ置きけることによれば)仏道を願ふといふは、別のことなし。暇ある身になりて、世のことを心にかけぬを第一の道とす。」(98)「心更に起らずとも、仏前にありて数珠を取り、経を取らば、怠るうちにも善行おのづから修せられ、散乱の心ながらも縄床に座せば、覚えずして禅定成るべし。」(157)「山寺に牆き籠りて、仏に仕う奉るこそ、つれづれも無く、心の濁りも清まる心地すれ。」(17)ようするに、ただ何もしなければ、それがそのまま仏道成就に至るということらしい。
本覚思想と摩訶止観
じつは、この考え方は、『大乗起信論』(c550、中国の偽訳書?)に基づき、平安中期から日本天台宗の中枢で形成され、口伝されてきた「本覚(如来蔵)思想」と呼ばれるものと似ている。仏性論を突き詰めれば、「草木国土、悉皆成仏」となり、人もまた元より悟っている(「本覚」)、ただ悟っていることに気づきさえすれば仏になれる(「一念成仏」)と言われ、迷いも悟りも一体、現世穢土も来世浄土も同一、とされる。そして、これは修養不要論ともなり、俗物貴族子女学侶の買位是認の根拠ともなった。
この本覚思想は、仏教以前のインドのウパニシャッド哲学における万物一体のアートマン信仰と輪廻に発する、とも言われるが、もとより仏教は輪廻解脱を説くものであり、また、中国でも死した魂は永遠の極楽か地獄かに行き去るものであって、本覚論の万物仏性の発想は、むしろ森羅万象が八百万(やおよろず)の神性を持つとする、国風、本邦独自の感性であろう。
だが、いずれにせよ、ほんとうに延暦寺で学んだのかどうかもあやしい兼好が、天台上層口伝の本覚思想を知るに至るまで本格的に教学に励んだとも思えない。実際、兼好には本覚思想の基本文献となる『大乗起信論』に拠るところは見られず、そもそも兼好には、大乗の三聚浄戒の摂律儀(しょうりつぎ)戒、摂善法(しょうぜんぼう)戒、摂衆生(せつしゅじょう)のうち、止悪修善(108)はあっても、もっとも大乗らしい利他は無い。
歴史
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。