『徒然草』の執筆背景:脱サラとFIREの先駆者(2)

2021.09.09

ライフ・ソーシャル

『徒然草』の執筆背景:脱サラとFIREの先駆者(2)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/当時、私度僧でも功績によって僧官になる道があり、兼好もまた二十代後半で出家して寄進斡旋や和歌名声でこの道をもくろむも、すでに僧籍は寄進貴族の子女に占められており、兼好は形ばかりの仏道に甘んじる無行で開き直る。しかし、四十代後半、倒幕による命の危機を感じるに至って、わずか数年で『徒然草』を書き上げる。/

兼好は、家族さえ嫌う。「妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。……子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。」(190)それどころか、人と係わることも厭う。「世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひやすく、人に交はれば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら心にあらず。ひとに戯れ、ものに争ひ、一度は恨み、一度は悦ぶ。そのこと、定まれることなし。分別、乱りに起こりて、得失、已む時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。走りて忙はしく、呆れて忘れたること、人みな、かくのごとし。」(75)

さらには、自分自身の生活のあれこれさえも、ムダだと言う。「一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、止むことを得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇、幾ばくならぬうちに、無益のことを為し、無益のことを言ひ、無益のことを思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を度りて、一生を送る、もっとも愚かなり。」(108)

つまり、兼好の出家は、その後になにか道を極めようなどというのではなく、ただ現状の束縛、生活の面倒から逃れるところに重点が置かれている。「名利に使はれて閑かなる暇無く一生を苦しむるこそ、愚かなれ。」(38)「世俗のことに携はりて生涯を暮らすは、下愚の人なり。」(151)「おおかた、よろずの仕業は止めて暇あるこそ、めやすく、あらまほしけれ。」(151)「紛るる方なく、ただひとりあるのみこそ、良けれ。いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、ことに与からずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。」(75)

先に、生業を続けても出家者は欲が無い(58)と兼好は言っていたが、じつはこれも、仏道によって執着を断ちきったからではなく、その正体はむしろ逸楽欲にほかならない。「財多ければ、身を守るに貧し。害を買い、累を招く仲立ちなり。身の後には金をして北斗を支ふとも、人のためにぞ煩らるべき。……位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやは言うべき。愚かに拙き人も、家に生れ、時に合へば高き位に昇り、奢りを極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、自ら賤しき位に居り、時に合はずして已みぬる、また多し。ひとへに高き官・位を望むも、次に愚かなり。」(38)つまり、財産も、地位も、面倒なだけ。そんなものは時の運。あえて求めて求めれば、かえって身を滅ぼすだけ。


合理主義と無行仏道

止むなく出家した長明が、自分の仏道について、「今、草庵を愛するも咎(とが)とす。閑寂に着するも障なるべし。いかが用なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさむ。」と言い、「汝、姿は聖にて、心は濁りに染めり。住みかは、すなはち、浄名居士(在俗大乗の大人)の跡を汚せりといへども、保つところは、わづかに周利槃特(掃除のみで法力を得た)が行ひにだに及ばず。」と自問するのに対して、兼好は、みずからを顧みるところ無く、富裕僧としての「出家」の日々の雑念を喜々として語る。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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