なぜ写真模写はダメか:著作権以前の写真と絵画の違い

2019.04.02

ライフ・ソーシャル

なぜ写真模写はダメか:著作権以前の写真と絵画の違い

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/写真は、しょせん写真だ。画角や深度、膨らみがぐちゃぐちゃで、影も色合いも空気感もでたらめな、そんな立ち位置不明の塗り絵など、まともに調律もできないアマチュアオケの演奏のよう。そんなのを見ていたら、こっちの感性がやられてしまう。/

写真で撮って絵に描く。漫画家やイラストレーターにも少なくない。だが、それは、ダメだ。著作権がどうこう以前に、絵になっていない。見る人が見れば、写真を使ったのが、すぐにわかる。画角、深度、膨らみ、そして、影が、色合いが、空気感が、おかしいのだ。

うちは両親が画家で、家のアトリエで美大受験生たちに教えていたから、でかい石膏がゴロゴロあった。当然、自分も、子供時分からさんざんやらされた。結局、自分は東大に行ってしまったが、高校の美術部なんかで描いている程度では、私立でも容易には美大に入れない。(私立のデザイン学科を除く。)

なにが違うって、デッサンの試験は、座席が抽選制なのだ。自分の好きなところに座って、都合よく、最高のシルエットで描けるわけではない。とりあえずラッキーなのは、一列目のちょっと横。石膏は台に乗っており、その前に座ると、かなり見上げる形になり、とにかく、堂々としている。ここからだと、額から鼻、アゴにかけてのプロフィール(横顔)に立体感があって、首のひねりが印象的になり、マッシブな白いボディの上で、髪やアゴ、マユ、鼻下の影がくっきり現れ、ハイライトからシャドウまで、「色」のフルレンジが使える。これでうまく描けないなら、話にならない。

だが、厄介なのは、三列目。その正面なんて、最悪。室内に反射する環境光のせいで、全部に光が当たってしまっていて、頭も胴も真っ白。背景や天井とも明暗差がつかない。これでは、まるで、吊し首寸前の蒼白の人物像。おまけに、前の連中のイーゼルがじゃま。これらが視界に入るだけで、自分の目の焦点を遠い石膏に集中させられない。しかし、それをなんとかするのが、腕の見せどころ。うまくやれば、大逆転で、その方が評価が高い。だから、美術予備校では、二列目や三列目、それもその正面に特化した対策講座があるくらい。

ようするに、三列目正面は、シロウトがカメラの望遠で撮ったような姿で見える。自撮りはともかく、世間に溢れる一般写真、素材写真のほとんどが、これ。対象を説明するための「イラスト」。とにかく対象だけを水平真横から即物的に見せたがる。三列目と違うのは、カメラは被写界深度というものがあって、対象だけに焦点が合っていて、前景や背景はうまくボケてくれること。それで、対象とそうでないものを視覚的に分離できる。ただし、逆に、その被写界深度の中、対象そのものは、パンフォーカスになって、前後の立体感の余地が失われ、図面にまっすぐ落とし込んだように、歪み無く、ぺっちゃんこになってしまう。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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