​いまどきの大学人の程度:日本学術会議の根本問題

画像: 学士会館

2020.11.07

ライフ・ソーシャル

​いまどきの大学人の程度:日本学術会議の根本問題

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/大学人と言えど、それは、たんに特定科目の研究教育をしているというだけの一職業人。それも、365日、同業者か大学生を相手。専門専修の仕事という意味では、旋盤工やキャベツ農家と変わるところはない。あえて世間に与せず、かといって独善に思い上がることもなく、ただ真理探究に没頭する高踏毅然の自負矜恃を持つことが、いま、あらためて大学人に求められているように思う。/

いまだに「学識経験者」と言う。だが、「学識経験」とは何か。テレビや新聞雑誌、本の前書後書、解題で、大学人に世人以上のキレがある世評など、めったに見たことがない。驚くほどありきたりで凡庸な社会批判。いや、実際、そこにキレなど、求められていないのだ。一般の人々は、自分と同じ程度の意見を肩書付きの大学人が言っているのを見て、自分も大学人並みだ、と満悦に浸る。今日、大学人は、そのためのオモチャにすぎない。自戒を込めて、この業界の実情を見てみよう。

そもそも大学人と言えど、それは、たんに特定科目の研究教育をしているというだけの一職業人。それも、365日、同業者か大学生を相手。専門専修の仕事という意味では、旋盤工やキャベツ農家と変わるところはない。いっそ、多様な情報と人に接する株屋やタクシー運転手の方が、いまの時風によほど敏感で、いろいろ話を聞くに値するところもあるだろう。

学術会議の大元には、戦後、貴族院を廃し、学者院(?)に代える二院制の構想があったのではないだろうか。つまり、上院を明治維新以来の軍人元老貴族の集まりではなく、森鴎外や桑原武夫、白洲次郎のような国際教養人たちに置き換えることで、普通選挙の衆議院を健全に制御しようとしていたのではないか。

しかし、戦後、高度経済成長とともに急拡大し、先鋭分化していく日本の大学において、文系においても、狭い専門研究者、つまり、いわゆる「科学者」ばかりがアカデミックポストに就くようになり、戦前の一高東大出や三高京大出のような国際教養人は、専門性がはっきりしない学際連中として、むしろあからさまに大学から排除されていった。

おりしもソ連などの共産主義国家において、科学的管理、テクノクラシーが標榜され、教条的な大学人が多種多様な政策主張団体を組織した。その組織の見た目の数はやたら多いが、その人員そのものは極端に重複しており、実際の人的総数はたいしたことはない。つまり、少数が複数の組織を語って、夜郎自大に存在を膨れ上がらせて見せているにすぎない。こういうプロパガンダが、社会一般の信用、同僚大学人の共感を損なっていることすら彼らは理解していないのだから、話になるまい。

また、戦後、新聞雑誌媒体が劇的に増大し、大学人が寄稿する機会が日常化し、偏りのある新聞などに関わって特定政党の政治家を応援したり、挙げ句は本人自身が選挙に出て政治家になったり、という者も出てくる。しかし、彼らは、政治家になるための下積みの修養訓練を受けてきたわけでもなく、教育研究者としての本分、覚悟からして疑われる。まるで有名になるためだけに漫才をかじったエセ芸人たちのようだ。ただでさえ就きがたい大学人になる幸運を得、崇高な教育研究者としての使命を与えられながら、それを踏みにじり、土をかけて修羅の政界に墜ちる者など、たとえ当選しても、人間的にまったく信用できまい。まして、若気の至りであろうと、暴力的な政治活動歴がある者たちなど、本来、大学人としてさえも、論外だったのではないか。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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