組織・人事に関わる全ての施策は、日本人の特性や自社の独自性への洞察なしには機能しない。それは、OSが違えば、アプリが動作しないのと同じである。欧米の真似でもない、うまくいっている会社の真似でもない、日本企業において本当に機能する組織・人事の考え方や施策について思索・指南する連載。
「問いを作る力」がある人は、「この仕事の目的は何か」「顧客は誰か」「誰にどのような価値を提供しているのか」「新たな技術や知識を応用できないか」「他の仕事と組み合わせたり、再構築したりできないか」「意味希薄で止めるべきことはないか」といった観点から仕事を見直したり、目標と現状のギャップを常に意識しながら方針や行動の修正を図ろうとしたりしている。そこには、自分の仕事を見つめなおすための新たな視点を持ち、問題を発見しようとする態度がある。問題の発見を上司に依存しない、自立や当事者意識がある。熟練していく過程で得たものや、前任者や世間一般の考え方に縛られず、盲目的にならず、健全な懐疑精神を持っている。ブレークスルーや改善を実現しようとする欲求が感じられる。仕事も組織も各々のキャリアにおいても、「問いを作る力」によって進化・向上していくのである。
●熟練者は「問い」を恐れ、面倒がる
あらゆる業務は、時間とともに進め方ややり方が定型化されていく。それは効率の観点からは重要だし、初心者はまずこれらを熟知し熟練していくべきだが、環境や技術的な変化はいつか必ず起こるので、その変化に合わせて目的も対象者もやり方も見直さねばならない。でなければ、その仕事の価値はどんどん低下していく。
ところが熟練者というものは、往々にして自らの旧いフレームや手法にこだわり、状況変化に鈍感になったり、かたくなになったりする。「問い」は現状を否定的・批判的に見る視点を含みがちなので、熟練者ほど「問い」を恐れることになる。また「問い」は、熟練者も含めて居心地のよさに安住している人にとっては、極めて面倒なコミュニケーションだ。つつながなく回っているのに、なぜ、目的だ価値だといった“そもそも論”を吹っ掛けられなければならないのか。余計なお世話だと思うだろう。「問う」側にはそんな気持ちが伝わってくるから、だんだんと熟練者にモノが言えなくなってくる。面倒くさい人だと思われたくないから、「問い」を立てなくなる。
上司にとって熟練者は頼もしい。だから、熟練度をもって「優秀」としたくなる。が、「問いを作る力」がなければ熟練者がいくらたくさんいても、現場が主導するイノベーションは起こらない。熟練者は「問い」を恐れるし、「問い」とは面倒なものなので、優秀な熟練者が増えれば増えるほど、「問い」が減少していき、その結果、仕事の価値が徐々に低下していく。もちろん、熟練者を育てていくことが大事な仕事であるし、熟練度をもって「優秀だ」とするのは合理的である。大切なのはこのジレンマを理解し、熟練者に対してさらに上の能力としての「問いを作る力」を求め続けること、また組織として「問いを作る力」を養い、問いのあふれる現場を作ることが肝要なのである。メンバーの仕事は、「マネジャーがどう問いかけるか」によって左右されると言ってもよい。
新しい「日本的人事論」
2018.06.29
2018.07.18
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2018.08.20
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NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。